大人の遊び

優しいことばをかけてくる人は、本当に優しい心を持っているんだと思っていた。

腹の奥から、優しい気持ちが自然に湧き出ている。まるでベビーパウダーのように細かい粒子が常に体のそとへ漏れ出し、まわりにふわふわと心地よい溜まり場を作っている。体内に残ったものは、たまに上の方まで優しく流れて来て、食道の付近までくると声の波に乗せ、頃合いを見て塊の優しさとして放出される。

 


優しい人の優しい気持ちが粒子の細かいベビーパウダーだとしたら、わたしの気持ちは一枚の羽みたいなものだ。羽毛ぶとんからぴょんと飛び出た羽を取るように気持ちを見つけて拾っては、声に乗せてふっと飛ばす。怒っている時や悲しい時、あるいはやる気のない時、羽は根元を剥き出しにして吹き矢のように激しく飛ぶ。羽を見つけたら飛ばす。また見つけたら飛ばす。それしかこの胸の内に芽生えた気持ちを伝える方法を知らない。

 


見つけて飛ばすくせに、人が羽を向けてきたら拒む。人の声に乗った吹き矢が飛んできたら吹き矢で追い返すし、優しい羽が飛んできたら入ってこないように守る。もし入ってきたら、どう対処していいかわからないから。

 


心理カウンセラーの先生は、ベビーパウダーの人も、もしかしたら羽を粉々にしていだけなのかもしれないですよ、と言った。

溢れ出ているベビーパウダーは、本当は鋭利な根本を持つ羽をすりつぶしていることもあるから、わたしもベビーパウダーの人になれる可能性があるらしい。生まれた羽のままをぶつけてきてくれる人も、それはそれで魅力的ですけどね、と先生は一言付け加えた。

 


でも、これからはできるならベビーパウダーの人になりたい。

思ったことをなんでも素直に言うことが必ずしも正義ではないんじゃないかって、なんとなくずっと思ってた。そういえば、そんなわたしに疎ましい目を向けてくる人が今までいた気がする。

相手の表情を垣間見て、声のテンポを掴みながら、優しく微笑んで、時に言葉を発する。それは、なにかを少し知った者だけができる、高尚な遊び。その遊びをする人が少し前までは眩しく見えてたが、今もう少し頑張ればできるような気がする。