ポルノとファンク

昨日は彼氏とカラオケに行った。いつものように各々好きな歌を歌っていたが、わたしの松浦亜弥を皮切りに、00年代のMステスペシャルみたいなラインナップになった。いきものがかりORANGE RANGEaiko、ポルノ。ポルノだけやたら歌い方がアキヒトっぽいねと指摘したら、自分の胸から腰を両手でめいっぱいさすりながら、ポルノは俺の血肉だから!と高らかに宣言していた。

今やファンクやジャズが好きな彼のどこを辿ればポルノの血肉にたどり着くのかが全く想像できなかったが、きっと秘密のルートがあるのだろう。それとも、そこまでの道は断絶されたか、もしくは血肉ごとすでに体外に排出されてしまって存在した痕跡だけがたまたま残っているだけか。

 


なにか悲しいことがあっても、いずれ血となり肉となるのだろう。ていうか究極、日々を過ごしているだけで、きっと血となり肉となるのだろう。そう解釈して納得することは、優しくて甘いことだ。出来事の良かったところだけを掬って集めて、胸のうちに大事にしまっておける。

 


血肉となった音楽には、音楽があって、音楽を聴くための機械があって、それを聴いている自分がいて、その自分がいる部屋や周りの環境がある。それがたとえ味気ない灰色の景色だったとしても、すこしだけなにかに反射した光が、今、何年かの時を経てマイクを通って外の空気に触れた。

いくら知らない音楽を教えてもらっても、わたしが知れるのは彼の声が乗ったきらきらのメロディーだけで、彼の血肉がポルノからファンクへと変化していった先にあったはずの灰色かなにかの色の景色を、永遠に見ることはできない。そういうことに、一抹の寂しさを感じたりした。そんな日曜の夜だった。