糸をかき分けて

実家を出たと同時に、必要のない縁は全て切れたと思っている。それと入れ替えにいい縁も舞い込んで、わたしの周りはだいぶ整理整頓された。


実家にいた頃は逆で、縁で溢れてた。大事な縁も、そうじゃない縁も。家族とは反りが合わない、担任は会えば進路相談の話をしてくる、クラスメイトは一度ハブられてから本当の友達だと思えない、まだ10代なのに求婚してくる彼氏には困ってる。身の回りの人間関係がまるで整理整頓されてなくて、ぐちゃぐちゃになった糸みたいに絡まっていた。とにかく自由になれる場所を常に探していた。ぐちゃぐちゃをすべて切るほどの勇気はなかったから、かき分けるだけで見渡せる世界を。

 


 17:30、新宿駅東口の改札を降りる。18時コマ劇前の待ち合わせにはまだ早すぎるので、地下改札前のランキンランクイーンでも見ながら時間を潰そうとしていた。

『もう着いちゃって暇ー。誰か着いてる?』

チャットのスレッドに高速で打ち込む。ガラケーのブラインドタッチは得意分野だった。今日の参加者を確認しようと、書き込まれた参加者リストを探そうと連続で▼ボタンを押していた時、後ろからとんとんと肩を叩かれた。

「イルカちゃん?」

「ぴーすけ!今日来るんだね、知らなかったー。」

『ぴーすけ』は、県外の大学に通う大学生。留年か休学かよくわかんないけど、とりあえず大学で問題を抱えてるらしい。背丈がわたしと同じくらいで、モッズコートを着て無精髭を生やしている。

「俺は大体毎回参加だよ。イルカちゃんも毎回参加でしょ。コマ劇前にいけばもう誰かしらいると思うから、行こう」

「うん!」


夜が始まる前のコマ劇前はいくつかのグループが円を作っていて、ぴーちゃんは一番真ん中の円に飛び込んで行った。

「お前らもう集まってんじゃん。イルカも捕まえたから拾ってきたわ。」

サークルを作る10人程の顔をざっと見ると、見慣れた顔を見つけた。

「あっ、みるちゃーん!」

『みるちゃん』はわたしのことを一番可愛がってくれるお姉さんだった。ピンクのイヤリング、ピンクのカチューシャ、ピンクの爪といったようにピンクのアイテムをよく身につけている、かわいらしい女性だった。

「イルカたん久しぶりだねえ。元気だった?」

「うん!みるちゃんに会えてうれしー!」

わたしとみるちゃんがハイタッチしながらぴょんぴょん跳ねるのを、ぴーすけは笑いながら見ていた。


サークルはぞろぞろと近くのカラオケ店に向かう。わたしたちはこうしてチャット上でカラオケの約束を取り付け、歌うだけ歌って解散するという会を頻繁に行なっていた。

「俺ACだよ。イルカちゃん、ほんとにJKだったwww」

「あ、あなたがAC?はじめまして!」

チャット上で何度も絡んだ人と初めて会うこともあった。でも書き込まれた文字に置き換えるとそんなに違和感がない。わたしたちは初対面でももう何度も会話してるみたいに、自然に話すことができた。

大部屋に移され、すぐさまドリンクバーへ向かう。まだ寒いのでホットココアを小さなマグカップに入れる。おしゃべりに夢中で、大抵飲む頃には冷めてしまっているのだが。

部屋に戻るとすでにカラオケは始まっていた。男性の比率が高いためか、部屋はうっすら蒸気を帯びている。当時流行っていたエロゲーの主題歌を男の声で歌う盛り上げ役の『じゅんた』。それを見て「テラワロスwww」と少し大きな声で言う『そさりー』。ワロスって口に出すとそう発音するんだ、と思って、わたしもそさりーの真似をして「ワロスwww」と言った。

大音量の音楽が流れる空間で、大した会話はできない。学校の話も身の回りの話も、天気の話みたいな其の場凌ぎの話は全て歌声の濁流に流される。だからいつも大声でわざわざ話すことといえば、チャットでしていた他愛もない話の延長線上。それも、実際に会ってしゃべると格別に楽しい。誰かが煙草を吸っている。あの箇条書きに並べられたハンドルネームの誰が煙草を吸うのだろう。煙臭くなる制服のスカートを少しだけ気にしながら、リアルとバーチャルの狭間で、わたしはお腹が痛くなるくらい笑っていた。


8時が近づいて来た。この楽しい会を、わたしはもう出なければならない。こういう時、門限と言うのがはずかしくて、「明日も朝早いから」と言って帰る。

毎回みるちゃんも同じ言い訳で帰るのがうれしかった。今日はなぜかぴーすけも付いてきたので、3人で一緒に帰ることにした。

明日から、いやあと何十分後かから、現実が再開する。本当はみんなとまだカラオケしてたい。でもこんがらがった糸がこちらに引き戻そうとする。2人もほんとはまだカラオケしたいと思ってるのかな?わたしみたいに門限があるならわかるけど、大人が早く出てきた理由がわからなくて、なんとなく

「そういえば、みるちゃんって普段なにしてるの?」

と聞いてみた。みるちゃんにプライベートなことを聞いたのはこれが初めてだった。

「みるは何もしてないよ。」

返ってきた言葉がよく理解できなくて、ふーん、と返した。

「みるには色々あるんだよ。」

ぴーすけが何かしら含みのある言い方をする。急に色々と聞いてみたい気持ちになった。当たり前だけど、みるちゃんにもぴーすけにも生活があることを思い出したのだ。でもすでにまずいことを聞いてしまったかもしれないと思って、みるちゃんにごめん、と言った。

「謝らないで。ぴーちゃん、そういう話はいいから。」

「そうか。俺もいろいろあるしな。今日楽しかったな!」

「ぴーちゃんの話は聞いてないよwうん!またカラオケしようね。」

「またいこーねー!」

花びらを伴った追い風が吹く。まだ始まったばかりの歌舞伎町の夜を尻目に、わたしとみるちゃんとぴーすけは駅に吸い込まれて行った。