チョコレートの憂鬱

先月から重ねた逢瀬は、いまのところ毎回着実に結果を出していた。おかげで今わたしたちは、旬のとろけかけの一番甘い部分を渡っている。この甘い部分の続きを味わうために、わたしたちはそろそろ、この関係に名前をつけることになるだろう。

2月。年末の溢れる多幸感とは違う、期待と欲望のソワソワが街を支配する。クリスマスから尾を引いたイルミネーションが、冬の最後を彩る。窓にうつる青白いキラキラを横目に、目の前の席で繰り広げられる議論をじっと聞いていた。

「絶対期待してるから渡した方がいい。」

「食事のお礼だと考えれば大したことない。」

毎年訪れるこの時期に順当に参加してきた者たちから出る、的確すぎる指摘。反論の余地はない。


昔からチョコの季節にはあまりいい思い出がない。まず食べたら必ずお腹を下す。鼻血を出す。

スキンケアショップの店員に勧められたチョコの香りのスクラブは、塗ってすぐに吐き気がしてしまいそれ以来使っていない。チョコの香りって、なんか人間の体臭っぽいのだ。脂がそうさせてるのかわからないけど、シャワーの湿気と絡みつくと最大限にその独特な香りが引き出される。

クリスマスの陰に隠れて忘れていたが、思えばバレンタインデーもあまりうまくいかないことが多かった。何かと関係がこじれる時期がたまたま2、3月が多く、そのせいで、迎えられなかったバレンタインデーや、返してもらえなかったホワイトデーのことを芋づる式に思い出した。


リア充爆発しろ」という言葉が流行った時期があって、インターネットで友達を見つけていたわたしは、もちろん得意になって使っていたうちの一人だった。その言葉を叫ぶことで、同じように叫ぶ仲間と謎の固い結束を交わしたような気がしていた。そうさせたのは、先述の失敗や悪い思い出が半分、かっこつけたい気持ちが半分。でも大人になってもそれは解けるどころか誰との結束かも忘れそのままわたしの中にかさぶたのように残ってしまい、煌びやかなショーウィンドウのことが本当は気になっても、吐いて捨てるような眼差しが体から先行してしまうのだった。


自分でも驚くようなスピードで進むのは、チョコで盛り上がるこの季節のせいかもしれない。たかがチョコ、されどチョコ。そのわざとぞんざいにした思いが、わたしの色んな節目を、暗く深い場所に置き去りにしてきたような気がする。だから、あの2人の言うこともわかる。多分このチョコを渡したら変わる。わたしたちの関係の名前も、渡っている場所も。そのどれかが変わったらきっと、悪い思い出半分、かっこつけ半分のわたしとは離れることになるだろう。

そういう皮肉たっぷりの目線で見てきた今までの世界も悪くなかった。だから、本当はまだ素直になりきれていないぞ、と言い聞かせながら、紙袋を右手に横断歩道を渡った。