冬の花火

人はどこからがマトモなのかわからないけれど、「友人の紹介」で「マトモな人」と出会ったのは今年のはじめ。

出会ったというより、強制的に出会わされた。知らないうちに「友人」に、水曜日の夕食を誰とどこで食べるかを勝手に決められていたのだ。親切。おせっかい。幸せの押し売り。ぴったりの言葉が見つからなくて、わたしは怒っていた。確かに外から見たらメチャクチャな生活なのかもしれない。誰かと友達以上の関係を築くのがどうにも面倒で、いろんな部分をすっ飛ばしてきた。快楽だけとか。楽しい部分だけとか。ここ最近も相変わらず、ネットで出会った人と数珠つなぎのような夜を重ねたり、昔の友人と体を重ねたらそれっきりになってしまったり。関係には名前すらつかない。

でもわたしはそのライトさがファーストフードみたいで結構好きだ。自分からそういう世界に足を踏み入れている。だからみんながみんな誰かのものになりたいわけじゃないんだよと。それは本音だった。強がっている訳じゃなくて、誰かのこと気にするとか、常に誰かと一緒にいるとか、そういう余裕が無い。その気になったら自分から動くからさ。ほっといてくれよ。

 

半ば囲い込まれたみたいな状況で青山に降り立った。午後8時の246を歩いていたら、太ももの内側が歩くたびこすれることに気づいた。1年前は感じなかった、自分が重力に負けてきている音。

 

真冬の風は優しい人を連れて来て、きのこのポタージュは怒りを鎮めた。聞けば、彼もよくわからないまま青山に送り込まれたという。被害者同士で話はそれなりに盛り上がり、夜はふけていった。

このままわたしの信頼に彼の信頼を重ねて行けば、二人はそれなりにいい感じに収まる予感がした。そして何年間か、あるいはそれ以上、それっぽい生活を送ることができるかもしれないと。子供の頃描いていた27歳って多分そういう感じだった。そろそろ落ち着いて、人のことを見つめられる余裕が出てくる歳。そんな生活、意外と悪くないかも。そう思って大通りでタクシーに乗ろうとした時、はっとした。

つまり、花火はもうできないってことかな。

流れる街明かりを横目にタクシーの中で考えていた。キラキラしたものを追いかけて、ズタズタになった日々のこと。待ち合わせのドトールや、ゴミ箱に捨てたクレンジング。置いていた食器や、盗み見できなかったスマホ。あんなに嫌だ逃げたいと思っていたのに、何年も昔につけられた傷跡を見つめ愛おしく感じている。気づいたら、ああいう日々からもう随分遠くまで来てしまった。

 

冬は空気が澄んでいるから、夏よりも花火が鮮やかに見えるらしい。わたしは口をぽかんと開けながら、花火の数を数えている。夏より随分少なくなった花火を、目に焼き付ける。ふとももの内側の肉が擦れすぎて、地面に向かってどろどろ垂れだした。まだ見つめていたいのに、花火はもうしゅうしゅうと終わりの音を立てている。