クリスマス解放宣言

平日の夜なのでジムに行く。大好きなプールに入りたくて、更衣室の床に水着セットをぶちまける。なんだかボリュームが少ない気がして、その場で手をガサガサ入れてみる。水泳キャップの感触がない。

仕方がないのでプールは中止にして、少し早いけどお風呂だけ入って帰ろう。そう思って浴場に向かった。

本当はこの時間にお風呂に入りたくなかった。仕事終わりの人たちが一番集まる時間帯で、 たくさんの人でにぎわいすぎる。せっかくならゆっくり湯船につかりたい。でもこのままだとジムでわざわざ裸になった意味もなくなってしまう。覚悟を決めて、風呂場のドアを引いた。

人がほとんどいない。思い出した。今日はクリスマスか。わざわざクリスマスにジムなんて行く人、なかなかいないんだろうな。みんなパーティーしてんのかな。それともデートしてイルミネーション見て・・・。

あれ・・・・、それからなにするんだろう・・・・?


あれ、クリスマスって、何する日だっけ・・・?


じつはここ数日は、ずっとクリスマスに対する違和感を感じていた。誕生日は生まれた日。お正月は新年の幕開け。バレンタインデーは告白する日。じゃあ、クリスマスってなに・・・・?

子供がいたらまだわかる。クリスマスツリー飾って、ケーキ作って、チキンを焼いてパーティーする。子供寝かせたあとはサンタさんとしてこっそり枕元にプレゼントを置いて、翌朝プレゼントに気づいた子供がワイワイしてるのを見る幸せなクリスマス。

あと、キリスト教ならわかる。わたしが通っていたミッション系の小学校も、クリスマスの力の入れ具合はすごかった。一ヶ月から毎日クリスマスに向けて祈りを捧げ、当日はイエスキリストが誕生するまでの劇や聖歌の合唱。まるでこの一年間はクリスマスのために存在すると言っても過言では無い。


なんだか冷めているとか強がっているとか思われそうだが、わたしにもクリスマスにはそれなりに思い出がある。といっても主に男関係の思い出ばかりになってしまうが。隣にいない男を思いながら眠れなかった最低なクリスマスも、やっと落とせた男と過ごした最高のクリスマスもある。あとは女友達と彼氏がいないことを憂いていたけどそれなりに楽しかったクリスマスもあるし、2ちゃんで見つけたクリぼっちオフ会みたいなのに参加して、知らない人とファミレスの狭い机でリア充爆発しろとか言っていたこともあった。

でもさっき思ってしまった。あれって、何を基準に最低とか最高とか思ってたんだろう。

あれ?わたし、何に期待してクリスマスやってたんだっけ?


この一年で、わたしが変わってしまったのか。それとも、本当はわたしは何も変わっていなかったのだろうか。真相はわからないけれど、今年はクリスマスを言い訳にして何かしようと思えない。クリスマスに身を置いているのならば参加しなければならないという世間の圧が、知らぬ間にわたしにキラキラのイルミネーションや街の小さなケーキ屋さんのことやとなりのポケットに手を突っ込んだ記憶の呪いをかけていた。多分どの呪いも、別にクリスマスだからじゃなくていいのだ。みんなにクリスマスが来るのなら、受け取ろうがパスしようが、個人の自由なのだ。そう、わたしは今年クリスマスから解放されたのだ。よし。わたしはザパーっと湯船から立ち上がり、熱っぽい体で無言の浴場を後にした。明日も今日と同じようにジムへ行こうと企みながら。