西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

わたしたちの冒険

久しぶりに会ったミサキは、人の蒸気が絡みつく新宿の雑踏に紛れていてもすぐにわかった。だって驚くほど何も変わっていなかった。短く切った髪、さっぱりしたメイク、個性的なワンピース。

わざわざ休みを合わせて会うほどの仲ではなかったけれど、ひとつ下の後輩だったミサキを、わたしは結構好きだった。大学を卒業すると、途端に会わなくなった。わたしたちは忙しさを理由にして、今まで特別お互いを必要としていなかったのだと思う。だから、

『久しぶりです!最近何してるんですか?久しぶりに例さんに会いたくなりました!』

と突然連絡してきたときは、嬉しさもあったが、もしかしたらネズミ講や宗教勧誘でもされるのではないか警戒してしまった。しかしそんな心配は、何も変わらない笑顔を見せるミサキを見ると、煙のように消えて行った。

ミサキから見ればわたしも大して変わっていないんだろうけど、もう大学生じゃなくなって久しいのに、ミサキの背後には不思議と人里離れた山の中の大学の景色が見えた気がした。

 

硬いコンクリートを踏みしめているミサキの頭頂部が左側に見える。そういえば、この子のことをこんなに汚い場所で見たことがなかったかもしれない。少し離れた場所にある喫茶店に入り、わたしたちはアイスティーとアイスコーヒーを頼んだ。

「例さん、最近なにしてるかなと思って!」

ミサキはまずわたしの話を聞いてくれた。会社の話や新しいアパートの話、飼い始めたウサギの話、なんだかんだで毎日平和にやっている話。引き出しから古い服をぽいぽい引っ張り出すみたいに、そういえば、そういえばといろんな話をした。

「わたしはそんな感じかな。ミサキは最近どうなの?高橋くんとは順調?」

高橋くんとミサキが付き合っていることは、学年の違うわたしたちの中でも周知の事実だった。高橋くんというのが、この平成時代を生きているとは到底思えないくらいピュアな男の子で、ミサキもミサキでまっすぐなひとだったので、二人が校内を歩くと歩いた後の空気が浄化されるような気がしていた。そんな二人が離れることはなかなか考えづらかったが、一応聞いてみたのだった。

「それが・・・高橋くんは忙しくてあんまり連絡を取っていなくて。それより実は大変なことが起きちゃったんです。もしかしたら嫌いになっちゃうかもしれないんですけど、」

ミサキは重い口を、でも誰かに聞いてほしそうなそぶりでその話を始めた。ミサキは新卒で入った会社で一番仲の良かった同期と、忘年会の帰りの夜を二人きりで過ごしてしまい、それ以来週に2回は彼の家に行くようになってしまったのだった。本当は高橋くんに申し訳ないからこんな関係やめたい、でも毎日顔をあわせるからなかなか思いを断ち切れないでいる、でも高橋くんのことも結構好きになってしまって、なかなか「友達に戻ろう」とか言えない、それどころか別の女の子の影もちらついてて、そっちに嫉妬してしまってるけど自分には高橋くんがいるから生意気なことは言えない、・・・。

クリーンなイメージしか抱いていなかったので、ミサキの身に起きていることについては少しショックだったけれど、わたしはそんなミサキが少し羨ましいとも思った。わたしだって日々いろんなことがあるけど、なんだかんだ幸せだったなと思いながら眠りにつく。今晩だってきっとそうだろう。枕を濡らすほど深くまで陥れられる夜は、久しく来ていないかもしれない。でもそれは、わからないけど、この毎日が続いていて大丈夫なんだろうかといささか危機感さえ感じていた。だからといって自分から不幸に顔を突っ込みたくはないのだけれど。

ミサキの口からは相変わらず糸でつながれた言葉たちがふわふわ浮遊しているようだった。こうして話した後も、その言葉はまたミサキの唇の裏に引き戻されるだけで、ミサキを苦しめるのだろう。

「もうさ、第三の男を作って、そっちに力を分散させた方がいいと思う。」

「例さんならどうやって作りますか?」

「うーん、出会い系やるかな・・・」

「出会い系は身バレが怖すぎるな。同じ大学の人と会っちゃったら大変なことになりかねない。」

ミサキの背後の窓から、夜がだんだん深くなっていくのが分かった。曇りガラスには、筆先から赤、青、黄色の絵の具をぽたぽた垂らしていくみたいに、いろんな色の滲んだ点があやしく広がっていた。

「ねえねえ、ナンパされに行かない?」

「え、ナンパ?」

「うん、なんかゴールデン街と近いし。ありそうじゃない?そういう出会い。」

完全に思いつきだった。わたしたちはいつも着たい服を、したい髪型を、話したい話をしてきた。だから、男性からどうやって声をかけてもらうか、よくわからない。でも、今のわたしたちには冒険が必要だった。

「いいですね!今すぐ行きたくなってきました!!」

「行こう、ミサキ!」

「行きましょ!いい男と出会えるまで、わたし帰りませんよ!」

「わたしもだよ!」

飲みかけのアイスティーとアイスコーヒーを置いて、わたしたちは残暑の夜空の下を歩いた。ミサキの背後に映る絵の具の点は、もう滲んで見えない。濃いねずみ色の歩道の真ん中で笑うミサキは、結構この街に似合っているなと思った。わたしとミサキは、揃わない背丈で足並みを揃えながら、さっき来た方向とは反対の、深い深い新宿の奥底へ歩いて行った。