記念品

休み時間。教室から少し離れた先にあるトイレは、花のような香りとほのかな酸っぱい匂いが立ち込めていた。鏡の前では、無数の女の子たちが所狭しと並んで化粧を直している。ブラウスの肩と肩が少しずつ触れ合うその隙間に、わたしはいつものように体を斜めにして肩をめり込ませた。冴子の肩だった。

冴子は待ってましたと言わんばかりの表情でわたしの顔を見て、ニヤッとした。そして耳元で囁いた。「ねえ、援交してるの?」

一瞬、時が止まった気がした。わたしも小声で返す。

「誰が言ってたの?」

「それは言えないけど、噂では何度か聞いたよ。本当なの?」

耳たぶに熱を帯びた血が集中し始め、そこから顔いちめんに広がる過程がわかる。心臓の音が口から冴子に聞こえないように、唇をきゅっと噛みしめる。考えれば考えるほどわからない。どうして、どうして。

 

いつも携帯からアクセスする出会い系サイトは決まって3つ。18歳未満でも登録無しで連絡先交換ができるようにするために、3つはどれも「メル友募集」を謳って開設した掲示板のような作りになっている。18歳未満の出入りの理由は、わたしのようなマセガキが単純に大人の男の世界が知りたくて飛び込むこともあっただろうが、大半は援交・ブルセラでお金を稼ぐ類の女の子だったと思われる。現にパンツ5000円とか、ホ別イチゴとか、書き込みは常に視界に入っていたけど、特別興味もなかったので流して見ていた。体を張って幾らかの金を手に入れるくらいだったら、その掲示板にわずかに出入りする、狭い界隈で名の知れたバンドマンや有名人の時間を独り占めすることの方が、わたしにとってずっと価値あることだと思っていたからだ。

でもこの時のわたしは違った。最新機種の携帯電話が欲しくて、猛烈にお金が必要だと思っていた。そのためなら体を売るのも厭わないと思って、いつもと少し違うテリトリーでターゲットを探すのだった。

わたしの年齢に反応したある人物と、後日会うことになった。

 

彼は、10代の女の子しか性の対象として見れない男性だった。職業は医師で、容姿も悪くない。彼もまた、こういった取引は初めてだと言っていた。わたしたちはお互い少し距離を取りながら歩いて、都会ではもう珍しくなった古いカラオケボックスに入った。

電気を完全に消し、声が聞こえないように音を最大にし部屋の死角に座る。学校のロッカーから持って帰ってきた体操着を傍にスタンバイさせておく。この時はまだ、そこまで緊張していなかった。その慣れた手つきを、彼はじっと見ていた。

「なにかありました?」

「いえ、何も・・・。」

そう言いながら、彼はリモコンを手に取り始めた。

「え、なんか歌うかんじですか?(笑)」

「あぁ、ちょっとまず気持ちを落ち着けたくて。」

彼は90年代に一瞬だけ大ブレイクした男性バンドの曲を熱唱し始めた。やることちゃちゃっと済ませてお金だけ欲しかったわたしは、少しでもこの時間が長くなることに苛立っていた。ひっきりなしに画面に流れる、青春とか、風、扉、みたいな明朝体の文字は、随分重たくて虚しく感じた。

ひとしきり歌い終わってから、彼は言った。

「やっぱりこういうことするのやめよう。君もこういうことするの初めてなんだろう?体で金を稼ぐことに味を占めちゃだめだよ。もしお金に困ってるんだったら、俺があげるから。」

彼は財布をガサゴソ弄り出して、2万円をわたしの手に持たせた。

「いや、エッチしないならそういうのいらないです。」

「いや、受け取ってよ。お金、まだあるから足りなかったら言って。それにまだ時間もあるし、カラオケしようよ。」

少し悩んでからわたしは、ほら、と手渡されたマイクをとりあえず握った。オレンジジュースの氷が、溶けてコップの中に半透明の層を作り出していた。

 

「楽しかったね。はい、これお小遣い。」

彼は3枚の万札をわたしに手渡そうとしてきた。エッチする約束だったのにさせずに楽しませてお金だけ払わせるなんて、流石にちょっと悪いと思った。

「やっぱりいらないです、お金。」

「なんでよ。記念だと思って持って行ってよ。」

記念。随分都合のいい言い分だと感じた。

あれだけしたかったセックスさえ断った俺が汗水流して稼いだ3万円で好きなもの買えってか。なにが記念だ。そんなもの、なんでわたしが手元に持っておかなきゃならないんだ。ていうか、そもそもなんで見ず知らずのお前と会った記念にこんな大金背負っておかなきゃならないんだ。重すぎる。重たすぎる。

結局、3万円は、物悲しそうに彼の財布に入って行った。

 

これでセックスしていたら、もちろんきっちりもらっていた。やることやったからそれの対価として。セックスで稼いだ金は汚いなんて一部の人は言うけれど、押し付けられて勝手に満足・納得されるための記念の金の方がずっと汚らわしい思った。

その怒りは一瞬でわたしの耳から頬を熱を持って駆け巡った。わたしは目をまん丸にさせながら大声で言ってやった。

「冴子、わたしやってないから!!」

一瞬トイレがしん、と静まり返り、誰かのマスカラが、コトッと落ちた。