西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

陰日向

今週のはじめ。空気のこもり気味な部屋で、何日か前に作り置いていたカレーを温めていた。

冷やご飯もせっかく温めていたのに、ラップを取って少し浅すぎるお皿に盛り付けると、すぐに熱が奪われてしまった。冷蔵庫の中で眠っていたカレーは、少し固くなっていた。スプーンの先をコントロールしながら軽く混ぜる。ご飯とルウは絡み合ってぴちゃっと音を立てた。

安いソファーの上でカレーを食べながらスマホTwitterを見ていると、やはりもうROCK IN JAPAN2018の全アクトが発表されていた。長い長いラインナップを、利き手ではない方の不安定な手でなでるようにスクロールする。一昨年あたりからこういった大型フェスで、見慣れた名前をぽつりぽつりと見つけるようになった。見慣れたというのは、よく雑誌やテレビで見ていたという意味ではなく、かつて同じ場所で同じように音をかき鳴らしていた、まるでクラスメイトのような存在の意味での「見慣れた」。身近だったはずの存在は、いつの間にか日本の音楽シーンを代表する大舞台に呼ばれるようになっていた。

 

3歳からクラシックバレエを習っていた。毎年4月の終わりに発表会があって、リハーサルの風景を舞台の袖から眺めながら出番を待つことが何より楽しみだった。成長するにつれバンドマンに憧れたり邦楽ロックを好きになったけれど、あの舞台袖に立つ直前の脚がゾクゾクする感覚が忘れられなかったのが、高校生活をバンド活動に捧げた一番の理由だったのかもしれない。

受験のためにバンドは一旦辞めたが、20歳の時初めてROCK IN JAPANに行って、爆音と空の広さに圧倒された。「またできればバンドをやりたいな」とうっすら芽生えた感情は、のちのメンバーになる人たちとの出会いで色濃く炙り出されることとなった。

 

当時の自分の目標は、大きな舞台に立つこと。少ないバイトの給料から練習代や機材代を捻出して、ただその目標だけを見ていた。

とはいっても、日本でフェスに出たいバンドは数え切れないほどいる。その中で才能も人気も認められて実際にあの広大な舞台に立つことができるバンドはほんの一部だ。だから、金もコネもないわたしたちは「優勝したらフェスに出演できる」といった、主催が開催するコンテストに応募し続けた。中には視聴者参加型の投票制のコンテストなんかもあったりして、SNSで友人や知人に投票を呼びかけた。

コンテストには落ちまくった。わたしは自分のしていることが怖くなった。そもそもわたしは音楽が好きでやっていた訳ではない。ただ広い舞台で自分たちが音楽を奏でることで、たくさんの人を陶酔させることが目的だ。うちのギターが書く曲は傑作ばかりだったけれど、その素晴らしい種を1つの作品になるまで育て上げて他人に才能を認めてもらうほど、自分たちに技術や人気がある自信はなかった。

 

バンドを辞めた頃から、大きなフェスのラインナップでちらほらと昔見たバンドの名前を見かけるようになって、少しずつだけだけれど今までその数は確実に増えている。そしてわたしも毎年夏の初めに公開される、なんとなく気になるこの発表を、息を呑んで眺める。カレーはまた冷たくなって、水気のなくなった米に絡みついてわたしの隣に寝そべっていた。もう少し続けていたら、自分ももしかしたらあんな風になれたかもしれない。そんな思いが毎回噴きこぼれそうになるのを、何回か前の夏から必死で押さえつけることを繰り返した。その瞬間だけ湧き上がる激しかったはずの気持ちは、このところやっと容易に沈めることができるようになってきた。

 

社会人になって初めて迎える夏も、やっぱりこうして始まった。でも今年は訳が違う。学生が夏休みに入ったとしても、同じように朝起きて、同じように会社へ向かう。きっとわたしは暇すぎたから、考える量も多かった。でも夏にやることがやっとできたので、立場のおかげで昔追った夢を本当の意味で忘れられそうな気さえしている。

この冷めてしまったカレーには、少し炒めてチーズでもまぶしたらまた美味しく食べられることを、わたしはもう知っている。大きな舞台ではないけれど、自分が今立つべき場所はやっと見つけられた。影が敷き詰められていて、でもたまに日が差すこの場所こそ、昔憧れた舞台袖に本当は一番似ている環境なのかもしれない。でも、もしその先に舞台が広がっているのならば、そこへ1度でいいから飛び出してみたい。昔夢見た場所なのか、夢にも見たことがない場所なのか、まだわからないけれど。その日が来るまで、日焼けした肌みたいに胸の中をたまにこうしてヒリヒリさせながら待っている。