西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

わたしのなりかけのもの

桃、メロン、デコポン。人は乳房を果物に例えたがる。かぶりつきたくなってしまうからか。溢れ出た最後の一滴さえも飲み干してしまいたいからか。

わたしには乳房が無い。小さいのではない。シャワーで、更衣室で、ベッドで、わたしの裸を見たことがある人は大方理解してくれると思うが、無いのである。

なる予定だったものならかろうじて存在する。もう十何年も前から、このなりかけのものはきちんと成長してくれるのだろうかと毎日心配していた。鶏肉、キャベツ、マッサージ、いくら何を試しても、残念ながら大人になってもそれが’’なること’’は無かった。

 

男の頭を抱いて寝るのが好きだ。こんなわたしでも母のように誰かを包み込むと、女としての威厳を守られたような気持ちになるのだ。でもわたしには乳房が無い。まな板のように硬い胸を目の前にして眠らされていると思うと、不憫でならなくなってくる。そりゃきっと、暖かくてふわふわの世界の中で眠れた方がいいだろうなと思う。

梨、すいか、グレープフルーツ。わたしのものも本当に、彼女たちと同じように栄養をもらって成長した果物なのだろうか。女として、そして誰かの未来の母として、非常に気がかりである。

やわらかな布をつんと突き上げる控えめな膨らみも、ぴったりと張り付いて自身のラインを強調する膨らみも、全部眩しい。ゆるい首元の奥深くが見えてしまうと、思わず目をそらす。結局持つことができなかったそれを見ると、嫉妬とも羨望とも少し違う不思議な感情が私の頭を完全に支配するのだ。この感情に名前をつけるとしたら、一体なんなんだろう。乳房とはどういった具合のものなのだろう。わたしは観察してみたいと思った。

 

万が一履歴が残っているところを仕事の人に見られたら大変なので、自分のラップトップではなく漫画喫茶のパソコンを使用することにした。2畳ほどの狭い部屋にぺたんと座り、デスクトップのアイコンをダブルクリックする。そして震える手で、わたしでも知っている大手セクシーサイトの名前をタイピングする。じきに展開されたそれは、多くの女性たちが快楽に顔を歪めて体をくねらせている様子を収め、そのどこか一瞬の画面を切り取られたのが画面を埋め尽くしている様子だった。わたしは馬ほどのブツをお尻の穴にブチこまれている画面の右隣の、巨乳の女性の動画をクリックした。

画面の中で、女性はカメラに気づかずシャワーを浴びていた。それを画面越しでじっと見つめる。綺麗な形のお椀型の乳房は水をよく弾く。むちむちと触り心地のよさそうな彼女は、乳房も大きかったが、とても鳩胸だった。まず胸がここまで厚くないとこの大きなメロンを支えることはできないのか。なるほどわたしの骨が透けた胸ではなにも太刀打ちできない。

こんなに大画面で堂々と彼女の裸姿を見ているのは、いささか滑稽に思える。壁が薄い。もし画面の中の女性の声なんかが外に聞こえたら、きっとこの薄くて低い壁の上から隣の人が顔を覗かせてくるかもしれない。わたしはもう一度ヘッドホンのジャックが穴に刺さっているか確認した。

男女の絡みではなくたまたま盗撮モノを選択してしまったのだが、彼女の日常を想像してしまった。大きい乳房があることで、足元を見るのにも一苦労なのか。うつぶせに眠ることはできないのか。本当に肩が凝るから、座ると机の上に乳房を乗っけると少しは楽になるのか。シャツのボタンは止まるのか。服のサイズは。男性からの視線は。そして、それを触った感触は。そのすべてを自分に置き換えてみたけど、驚くべきことに全くイメージすることができなかったのである。下を向いたら2つの膨らみが視界を阻んでいる様子を、具体的に想像できないのだ。例えるなら、しっぽがあるならとか、角が生えたらとか、そんなレベルの話なのである。女性として生まれたと思っていたのに、わたしから見ると、世の女性たちとはそれくらい遠く離れた種族だった。

 

ひとしきりエッチな動画を見ても、なりかけのものがどうにかなるわけではない。下を向いても、やっぱりわたしには乳房が無かった。わたしは何か知ってはいけないことを知ってしまったような気がしたが、忘れようと首をぶんぶん振り、引き戸を開け、暗くて小さな部屋を後にした。