西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

シェイプ・オブ・ウォーターを見て思い出したこと

NY行きの飛行機の中で、「シェイプ・オブ・ウォーター」を観た。
耳の聴こえない女性と半魚人のラブストーリーとのことで、胡散臭い話だなと思っていたが、随分話題になっていたので気にはなっていた。
感想としては、良かったとか悪かったというより、なんだか胸がいっぱいになってしまった。


二年前一人でオランダに行った時、何人かのグループに軽く絡まれたのだが、居合わせた親切な現地の男性が追い払ってくれた。その後バスの中で話をしてみると、彼は敬虔なユダヤ教徒の家庭に育ったイスラエル出身の男性だった。
厳しいカトリックの学校で育ったのと、中学時代La’cryma Christiが好きだったのでイスラエルの名前だけはなんとなく知ってはいた。しかし、今のイスラエルガザ地区のネガティブなことしか知らないし、イスラエル出身者を基本的にはユダヤ人と呼ぶことを知らなかった。彼もまた、日本に関することは寿司しか知らなくて、更に日本が島国であることすら知らなかった。
帰国後もしばらくメッセージのやり取りをしていた。その後パリに行く機会があったのでそう伝えると、彼がユダヤ人だらけのシェアハウスに泊めてくれると言い出した。わたしはパリを堪能したあと、アムステルダムで2週間ほどユダヤ人達と奇妙な共同生活をすることにした。


ユダヤ人コミュニティは強靭で、毎日たくさんのユダヤ人に会った。フムスというイスラエルではメジャーな豆のペーストのような食べ物をよく作ってくれて、わたしはその度にお腹を壊した。彼らはヘブライ語という右から左に書く言語を使って喋っていたので真似しようとしたが、よく分からない喉の鳴らし方をするのでやめた。
彼も彼で何度も日本を中国の一部である前提で話すのでいちいち訂正したり、日本料理屋に連れて行けば箸が使えず「なぜアジア人はこんなに不便なものを使うのか、スプーンとフォークでいいじゃないか」と文句を言われた。お互いカタコトの英語で訛りも激しかったので、言葉はあまり通じ合っていなかった。


ある日、彼が車でベルギーに連れて行ってくれることになった。朝早く出て日帰りで行き、帰って来る頃にはもう深夜になっていた。
オランダに再入国してしばらくして、通りたい道が通行止めになっていた。しかしナビには全く反映されておらず、別のルートの提案をしてくれない。こういうことはオランダではよくあるらしく、別の道を行こうとしても、同じ道をグルグル回ってしまう。
彼は軽くパニックになりかけていてF●CKを連発し出し、電子マリファナをバカスカ吸い始めた(もともとマリファナ中毒っぽかった)。ガンギマリで運転して事故にでも巻き込まれたら大変なので、わたしはカタコトの英語と身振り手振りで、頼むから落ち着いてくれと彼をなだめた。
路駐して2人で作戦を練った。通りすがりの不良の子供が、車の窓をドンドン叩きながらわたしを見るなりつり目をして挑発してくる。こんなところで寝泊まりすることになったら絶対嫌だった。わたしたちは一通の道を逆向きに強行突破することで回避することにした。もうこの方法しかなかった。
あと少しでトラックに当たりそうになってかなりヒヤヒヤしたが、ギリギリのところでなんとか脱出することに成功した。バックミラーを覗くと、トラックがクラクションを何度も鳴らしながらめちゃくちゃ怒鳴っていた。やがてトラックが見えなくなり、わたしはあ~~~よかっった~~~~と大きな声で言ってしまった。その「よかった」という単語の発音が面白かったらしく、彼が吹き出した。ムッとして彼の顔を見るとメチャクチャ汗をかいてTシャツがびしょびしょになっていて、わたしも思わず吹き出してしまった。


この一件があってから、わたしたちはお互いをなんとなく特別な存在だと思うようになった。


とても失礼な言い方に聞こえてしまうかもしれないが、わたしは彼を同じ人間と認識していない部分があった。それぐらい、生まれ育った環境が違った。完全に伝わらない英語でなんとかやり取りしているが、基本は互いの表情をうかがったり、手を握ったり、笑いかけたり涙を流したりすることが主なコミュニケーションだ。それは言葉の分からない動物たちを友人だと認識する行為と似ているかもしれない。少しでも自分の思うことが伝わってほしくて、随分表情豊かに、近い距離感で毎日を過ごした。
日本に帰ってからアムステルダムでの共同生活の話をすると、「よく生きて帰ってこれたね」とか、「なぜそんな無茶をするのか理解ができない」と色んな人に怒られた。わたしたちは言葉が通じない相手を不安に思ったり、環境が違いすぎる人間を厄介に思ってしまうことがある。でも、知らないから楽しかった。わからなすぎるから面白かった。伝わるといちいち嬉しかった。
わたしがフムスを食べられるようになって、彼が箸を持てるようになったら。その日を想像すると、ゾッとすらしたのだった。


シェイプ・オブ・ウォーター」の半魚人に、わたしは彼を重ねてしまった。
この映画にはたくさんのコミュニケーションの形があった。多言語、手話、暴力、笑顔、涙、ハグ、セックス・・・。そういえば最近は言語でしかコミュニケーションを取っていなかったかもしれないなと思った。言葉にすることは絶対的であるが、絶対的であるがゆえに失うちいさなものは多い。あの映画にもアムステルダムの日々にも、言葉の伝わる人とは到底かわせない緊迫したコミュニケーションがあった。そしてそれは、日本語だけで生きる日本での生活とは全く違った。
みんなが言うように、確かにもしかしたら彼が悪いユダヤ人だったら死んでたかもしれない。でもそれは彼も同じだ。だからわたしたちはお互いを信じるしかなかった。そんな中で生まれた信頼の賜物は、それはそれはピュアで尊くて、美しかった。