西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

藝大生の藝大コンプレクス

高校生の時、何にも目標がない毎日の中で、深夜たまたま見ていたCDTVという番組のステージセットに感動して、「絶対これを作る人になりたい」と思った。どうやらその職業はセットデザイナーと呼ばれているようで、芸術系の大学に行くとなれるらしかった。どうせ目指すなら一番すごい大学に行きたいと思って、東京藝術大学を受験しようと決めた。

 

 

通称「藝大」は、美術予備校で一番もてはやされる存在で、次点と言われている多摩美武蔵美とはまるで次元の違う場所にいるという印象だった。藝大に入って出身予備校にふらっと遊びに来る先輩は、格別にかっこよく見えた。

私は完全に頭のなかで夢物語を描いていて、自分はそのうち絶対に藝大に合格する人間だと思っていた。

1年目、2年目、3年目と、次々友達や後輩が合格して行くのは耐えられなかった。でもこれは藝大受験。デッサンが上手だから、平面構成をうまくできるから受かるとか、そういうことではない。じゃあ何?答えは、その子が「持っている」か。私は「持ってなかった」。それだけのこと。

わたしは結局藝大に合格することができなかった。持ってない自分を受け入れることができなくて、多摩美に入学したものの一年ぐらい辞めたいと思っていた。そんなことばっかり考えていたら、いつしかセットデザイナーの夢もどこかへ消えてしまっていた。

 

 

一昨年、晴れて大学院で藝大に合格した。

これで積年の藝大コンプレクスは解消されたかと思ったけれど、むしろ悪化の一途をたどった。入って気づいたが、多摩美を知らない人も、東京藝術大学は知っていて、やたら「すごいね」と言われるようになった。すごくないから、「持ってない」人として3回も入学を拒否されたのに。「学歴ロンダリング成功したね」なんていじわるを言って来られるより、「すごいね」の方が実際ずっとしんどい。何をやるにも、ずっとこだわってきた「藝大」の看板が付いて回るような気がして、今よりのびのびと行動できない期間があった。

 

 

何事も憧れが高じすぎて執着に変わることは何もいい結果を産まない、というのは分かっているつもり。でも愚かにも執着を選んでしまうと、そのシミはいつまでも残る。他のだれが見ても大したシミではないのに、いつまでもいつまでも気になってごしごしこすって、もっと取れにくくしてしまう。取れた後も、まだついているのではないかという恐怖でいっぱいになる。

藝大信仰は日本の美術教育のがん細胞だと叫ぶ人も多い。本当にそうだと思うし、未だにこんなこと考えている自分は本当にバカだと思う。でも受験生が持つような不安定な精神状態では、誰もが神のような存在にすがりたくなる。その存在が、藝大。すごくすごく狭い世界の、圧倒的大正解。その存在に助けられた人も、助けられなかった人もいる。一歩外に出たら誰にとっての神でもないって、全員気づくのに。そもそも「持っているか」の判断基準は、藝大がどうとか何も関係ないのに。

 

 

 

実は上野校舎の研究室も受けたけど落ちて、本当に何も持ってないんだなと思っていた矢先奇跡的に入れてくれた我が映像研究科は、最早東京になかった。そのせいもあって、もうすぐ卒業するというのに、未だによそ者な感じ。しかし、これはわたしにとってまだ救いだとも思う。よそ者はよそ者らしく、藝大からいなくなっても藝大コンプレクスを胸に生きて行くしかない。藝大はもうわたしの一部なのに、まだ藝大から1番遠い。