西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

わたしだって

私は、普通の家庭で育った。

超亭主関白の父と、父の仕事を手伝う母。二人はお見合いで出会った。
女は結婚したら旦那の家に入り、家庭を守る。頻繁に実家に帰ることも許されない。正月に実家に帰るなどもってのほか。二人ともそんな家庭で育ったから、二人にとってそれが普通だった。
整理整頓が苦手で、昆虫が大好きで、泥だらけになりながら都会では少ないカナヘビを捕まえて喜んでいたわたしを見て、早くから父と母は「こいつが家庭を守るのは無理だ」と、わたしを二人が思い描いていた女性像に育てることを諦めた。おかげで自由に生きさせてもらった。
それでも家の中では少しでもワイドショーで強気な発言をする女性コメンテーターに「強気な女だ」とか「女が上の地位に行くには胸尻ぐらい揉まれてナンボ」みたいな言葉が飛び交っていた。「えー、見て、女性社長だって。」みたいなびっくりした声も我が家では当たり前だ。わたしには弟も妹もいるが、弟が配膳を手伝わなくても怒られなかった。正月には女の子供は一曲歌えと言われた。
わたしも、それが普通だと思っていた。

なんて酷い話だ、と思う反面、わたしが普通だと思ってきた会話や行為と近い行為が告発されている現実を受け止めきれない自分がいる。
この世の社会は男が回していて、女が進出するのにはハンデだらけだ。っていう方程式って、もしかして今やもう覆されてるんですか?
いや、薄々気づいていた。家庭の中で発される言葉一つ一つ、時代遅れでくだらない言葉が多かったことに。でも、100%ではないけど、話半分だったとしても、それを信じてきてしまった。
だから昨今の世の中の流れについていけない瞬間がある。「え、どうしてこれがダメなの?」と思ってしまうことがたまにある。よくよく考えるとたしかに許されないわ、と思うんだけど、わたしの根底に何年も居座るかさぶたのようにこびりついた価値観(いや、これは洗脳?)は、なかなか溶けて消えてくれない。

 

わたしはこれからも、世の女性の悲しみに寄り添ってあげられないのかもしれない。わたしだって一人の女性なのに。また絶望を1つ抱えてしまった。