西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

水槽の高橋

去年、友達と外苑前の街コンに行ってみた。
外苑前という街にはもちろん何も縁がないのだが、2016年は何もいい思い出がなかったので、派手に玉砕してやろうという軽い気持ちで参加した。
男女2人ずつ計4人で机に座り、30分ごとに男性だけがローテーションしていくという仕組み。
色々な人がいた。会話がどうしても通じない赤坂の警察官。色々な友達を作りたいという名目で参加した元バックパッカー。25歳で学生やっていると言うとゴミを見るような目で見て説教してきたエンジニア。
参加者が結構いたので全員がローテーションしてくることがなく、私たちは参加費3500円をドブに捨てたような気持ちになった。(ちなみに男性の参加費は7200円)

は~だるい。2016年最後の思い出がこれかよ。さっさと出て腹いせにTinderでもやるか。そう思っていた。
会場出口に行くと、参加者たちがたくさん出口に集まっていた。
おそらくみんな同じようなことを思っていたのだろう。人間から湧き出る「もやもや」という感情は、こうも冬の空気で科学反応をおこしてあらわになるのか。
そりゃそうである。これは普通の街コンではない。人恋しい季節に都内有数のおしゃれスポット外苑前で開催された街コンである。
私たちもその空気に納得するように、出口付近に居座った。

「よかったらこの後、お茶しませんか?」
2人組の男性が私たちに話しかけて来た。
高橋一生を少し乾燥肌にしたような中肉中背の男性と、もう中学生に似た背の高い男性。
消えて行った3500円のことを思いながら、私たちは付いて行った。

二人は大学時代から仲のいい同級生らしい。たしかに大学名を聞くと、わざわざ外苑前なんて通らないだろうなという場所だった。
「だから外苑前という街は僕らもよく知らないんだけどね。」そう言って笑っていた。
もう中学生は話がとても面白くて、私たちは久しぶりにお腹をかかえて笑っていた。何を話してたかもう一言も覚えていないが。
高橋一生は私たちから話を聞き出すのがとても上手かった。
なんと、高橋が昔住んでいた社宅と私の住んでいる場所が徒歩5分ぐらいの距離であることが判明した。
次、よければ近くで飲みませんか。楽しい会が終わってすぐに、私の元にだけLINEが来た。

初めて2人で飲みに行った時点で、私は完全に高橋のことが好きになってしまった。
高橋は海外に赴任していて、街コンに参加していたのは日本に帰って来ていたタイミングだったという。次日本に帰って来たらまた私と会ってくれると約束してくれた。
もしかしたら3ヶ月後に帰ってこれるかもしれなくて、そしたらもっとたくさん会えるね、なんて笑いあっていた。
こんなに早い段階で堂々と「この人が好きである」と思えたのは初めてだったかもしれない。それがいいとか悪いとかではないのだけれど。

その後高橋とはすったもんだがあったが、簡単に言うと、いいところまで行ったけど突然会えなくなった。
だから実際私は高橋と2人で会ったのは2回だけで、街コン帰りと合わせると計3回しか会っていない。


連絡を断たれて数ヶ月後。instagramの友達かも?に、見覚えのある顔のアイコンが突如として現れた。
高橋だった。
心臓が止まりそうになった。

アカウントを知ることになった経緯は諸説あるが、詳しく記すのはやめておく。
とにかく、ネットの海で高橋を見つけてしまったのだった。

ここで告白するが、発見して数ヶ月、高橋のinstagramをフォローせずに見るのが日課だった。

高橋は日本に帰ってくる予定だったのに、どうやら急遽別の国に赴任が決まったようで、たまにおにぎりの写真をあげたりして、異国の地で頑張っていた。
会った3回の間で名字すら知ることがなかったけど、名字も知った。出身の高校も。
高橋の実体にもうずっと触れていないのに、私は高橋が今日食べたご飯を知っている。
世の中的にはもはやただのストーカーだが、私の感覚としては好きな人をストーキングしているというより、水槽の中の金魚を見守っている感覚に近かった。
メディアは水槽。生きている高橋は確実にその中にいた。
懸命に生きる姿は私に筒抜けで、全てガラスの側面越しに映っていた。

高橋のinstagramを見ると、なぜか心が落ち着いた。
なぜ自分を受け入れてくれなかった人のSNSを癒し目的で見たくなるのか分からない。
多分もう私は高橋に恋愛感情を抱いていない。執着もしていない。諦めの早い性格は自分の強みだと思っている。
だから女性の写真が突然出て来たり、誰かのものになっていても、別になんとも思わないだろう。素敵な人と幸せになってほしいと願う。

でも、あのたった2回の逢瀬の間だけは、自分で言うのもなんだがとても可愛い女の子になれていたような気がする。

1回目のデートと2回目のデートの間、何十時間も高橋を思って幸せな気持ちになった。
25年間、恋とは心の深いところで悲しみながらするものだと思っていた。しかし高橋を思うと、不思議なことにマイナスな感情が一切出てこなかった。
好きな人を好きだと思うことを肯定し、その感情を持つことに喜びを感じ、景色は本当にバラ色に見えた。
それはもしかしたら、子供やペットを愛おしく思う気持ちを楽しむ心に近かったのかもしれない。そう書くと、あれを恋心と言うのかもわからなくなってきた。
でも恋に恋焦がれ恋に泣いたり、壊れるほど愛しても1/3も伝わらない純情な感情では明らかになかった。


ネットストーキングをする心理の背景は人それぞれあるだろう。昔の恋人が今幸せに生きているのか気になる。昔好いてくれていた人に恋人ができていないか気になる。
でも高橋と私の場合、高橋が◯◯であるか気になる、のところの◯◯の部分に、「生きているか」をはめ込むのが適切ではないかと思う。そして生きている高橋を確認することで、あの一瞬でも愛で輝いた気がする自分を蘇らせたくなったからではないかと思う。


今もし高橋という実体に触れたら、どんな気持ちになるだろう。
高橋の実体に触れた3回より、水槽越しに眺めていた時間の方がはるかに長いので、逆に生(なま)を感じず拒絶してしまう気すらする。高橋の生きている姿をを構成する外的要因(環境、食べ物、友人)、そしてそこから想像した私のストーリーで、私は高橋が生きていることを確認していたからだろう。


久しぶりに見てみたが、今日も水槽の高橋は生きていた。2017年は私も色々あったし、愛に輝いた自分が蘇ったかは分からなかった。というか、前もあんまり分かっていなかったが。

でもこんな綺麗事言っても、ふつうに気持ち悪いですね。ごめんね高橋。


※一部フィクションです