西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

東京の洗礼

人混みをうまくすり抜けるねと言われるような、生粋の都会っ子として育った。

 

みんなの故郷の近所には、その地特有の澄みきった空気とか、悲しいことがあると自転車を走らせて向かう海とか、縁側で野沢菜を漬けるおばあちゃんの家があるらしい。

 

わたしが育った街は、どこかに必ず電車が通っていて、10分も乗れば、みんなの故郷にあるもの以外ならすべて揃うだろう。

東京で育ったから、自転車に乗れなくていいと思っていた。

大人になるまでホームセンターもイオンも知らなくても、東京メトロさえ乗れれば何の不便もなかった。

わたしはそんな東京を愛していた。

 

 

最近、この育った家を思ったより早いうちに出ていくことになった。

 

この日を待ちわびていたため、実家暮らしにしては節約したり貯金したり堅実に暮らしていた、と思っていた。しかし一歩足を踏み出すと、そこにはわたしの知らない東京が広がっていた。

 

東京に家を借りるということは思ったよりずっと大変なことで、今後のことを不動産屋に事細かく聞かれて返って来る言葉は「審査多分通らないですよ。」

コツコツ貯めたお金があるという事実は通用しない。きらびやかな今後の人生を約束されている者にしか暖かい住居は与えられない。思い描いていた生活レベルと現実はまるで違った。家賃の上限設定はどんどん下方修正されていった。

 

なんの人生計画も立てていなかったわたしは、この街において圧倒的弱者であることを知らなかった。この街は誰よりも厳しかったのは、別の街の人間ではなく、金も地位も名声もないこの街に守られて甘えて育った人間なのではないかと思う。東京の生活について何も知らなかった。それは東京を知らないことと一緒だと思った。

 

わたしが東京で生まれ育ったから何の苦労も知らないと思っている人たち、みんなざまぁとか思ってるんだろうな。

笑ってよ。本当にそうだと思うから。

 

澄み切った空も、海も、縁側のおばあちゃんも知らずに育った。

排気ガスの雲と人の荒波の中で、何を誰を標に歩いて行けばいいのだろうか。

 

みんな、この街に負けないとよく言う。

これから毎朝、嫌でも育った街が描かれた路線図を横目で見ながら通り過ぎていかなければならないのだろう。

わたしは東京の生活を愛することはできるだろうか。

春はまだ遠い。

26年住んだ東京の洗礼を今、はじめて受ける。

藝大生の藝大コンプレクス

高校生の時、何にも目標がない毎日の中で、深夜たまたま見ていたCDTVという番組のステージセットに感動して、「絶対これを作る人になりたい」と思った。どうやらその職業はセットデザイナーと呼ばれているようで、芸術系の大学に行くとなれるらしかった。どうせ目指すなら一番すごい大学に行きたいと思って、東京藝術大学を受験しようと決めた。

 

 

通称「藝大」は、美術予備校で一番もてはやされる存在で、次点と言われている多摩美武蔵美とはまるで次元の違う場所にいるという印象だった。藝大に入って出身予備校にふらっと遊びに来る先輩は、格別にかっこよく見えた。

私は完全に頭のなかで夢物語を描いていて、自分はそのうち絶対に藝大に合格する人間だと思っていた。

1年目、2年目、3年目と、次々友達や後輩が合格して行くのは耐えられなかった。でもこれは藝大受験。デッサンが上手だから、平面構成をうまくできるから受かるとか、そういうことではない。じゃあ何?答えは、その子が「持っている」か。私は「持ってなかった」。それだけのこと。

わたしは結局藝大に合格することができなかった。持ってない自分を受け入れることができなくて、多摩美に入学したものの一年ぐらい辞めたいと思っていた。そんなことばっかり考えていたら、いつしかセットデザイナーの夢もどこかへ消えてしまっていた。

 

 

一昨年、晴れて大学院で藝大に合格した。

これで積年の藝大コンプレクスは解消されたかと思ったけれど、むしろ悪化の一途をたどった。入って気づいたが、多摩美を知らない人も、東京藝術大学は知っていて、やたら「すごいね」と言われるようになった。すごくないから、「持ってない」人として3回も入学を拒否されたのに。「学歴ロンダリング成功したね」なんていじわるを言って来られるより、「すごいね」の方が実際ずっとしんどい。何をやるにも、ずっとこだわってきた「藝大」の看板が付いて回るような気がして、今よりのびのびと行動できない期間があった。

 

 

何事も憧れが高じすぎて執着に変わることは何もいい結果を産まない、というのは分かっているつもり。でも愚かにも執着を選んでしまうと、そのシミはいつまでも残る。他のだれが見ても大したシミではないのに、いつまでもいつまでも気になってごしごしこすって、もっと取れにくくしてしまう。取れた後も、まだついているのではないかという恐怖でいっぱいになる。

藝大信仰は日本の美術教育のがん細胞だと叫ぶ人も多い。本当にそうだと思うし、未だにこんなこと考えている自分は本当にバカだと思う。でも受験生が持つような不安定な精神状態では、誰もが神のような存在にすがりたくなる。その存在が、藝大。すごくすごく狭い世界の、圧倒的大正解。その存在に助けられた人も、助けられなかった人もいる。一歩外に出たら誰にとっての神でもないって、全員気づくのに。そもそも「持っているか」の判断基準は、藝大がどうとか何も関係ないのに。

 

 

 

実は上野校舎の研究室も受けたけど落ちて、本当に何も持ってないんだなと思っていた矢先奇跡的に入れてくれた我が映像研究科は、最早東京になかった。そのせいもあって、もうすぐ卒業するというのに、未だによそ者な感じ。しかし、これはわたしにとってまだ救いだとも思う。よそ者はよそ者らしく、藝大からいなくなっても藝大コンプレクスを胸に生きて行くしかない。藝大はもうわたしの一部なのに、まだ藝大から1番遠い。

沈んだかけらを探してる

修了制作で「女の子が出会い系アプリで出会った数人と過ごした時間を記録した映像」を発表したが、この作品内でたくさんの男性と出会う主人公の女の子の名前を「イルカちゃん」としていた。

 

「イルカ」
かつてのわたしの名前である。


16歳だったわたしは、クラスに友達がいなくてやりたいことも無い、ただただ未来に絶望する高校生だった。
そんなわたしが唯一没頭していたのが、SNSで知らない人と話をすることだった。暇さえあれば、自らを「イルカ」と名乗って常駐していた。画面の向こう側にはどんなに夜遅くても誰かがいて、今でいうツイッターのようにリアルタイムでの会話を楽しんでいた。
集っていたのは、元バンドマン、ニート、留年美大生、会社員・・・・くだらない話しかしないが、時にお互いが現実で抱える悩みを吐露し合う。ここでの生活がとても充実していたので、どんなに毎日が楽しくなくても、イルカとしてネットの海に漂う小さな孤島にいる間だけ、わたしは無敵だった。


無敵だったはずだった。
わたしたちは同じ地域に住んでいるもの同士、互いの姿を見てみたいと思うようになり、現実の世界で出会う試みをした。肉体が目の前に現れた瞬間、楽しかった文字だけの会話は現世の人間の営みと変化した。向こう側を文字情報だけで想像してワクワクしていた頃に到底生まれなかった憎しみ、怒り、そして恋愛感情といった複雑な感情は、わたしたちの間に存在していた純度の高い絆に細かい傷を沢山つけた。わたしもなかなか濃く営んだおかげで、一部の住人たちに憎しみを買ったり買われて、苦い思い出となってしまった。
わたしたちの会話は、文字だけで終わらせておけばよくて、欲を出して、互いの姿を見たいなど思わなければよかったのだった。それに気づいた時は、住人たちはなんとなく疎遠になっていって、一人また一人といなくなった。やがてわたしもいなくなった。
そしてイルカは、わたしの手によって長らく封印されていた。
10年後、自らの手で掬いあげられるまでは。


修了制作・研究を進行させるにあたって、あの住人と今連絡を取って話をしたら何か新たなことに気づくことがあるかもしれないと思った。その頃はネットで本名を晒すなんて一番恐れていたことだったが、住人のなかで一人だけ本名を堂々と晒していた変な人物がいたことを思い出した。
なんとなく覚えていたその印象的な名前は、Facebookにも存在していた。
メッセージを送って、少し経って返信が来た。
『超懐かしい!!!!!元気だった??』
わたしたちは、10年越しに初めて出会ってみることにした。


毎日お互いどんなことを考えていたか簡単に見れたし、自撮りもそれなりに投稿していたせいだろうか。
一度も会ったことがなかったのに、彼の姿はすぐにわかったし、待ち合わせは一瞬で相手が分かったし再会に近い喜びを感じたのが不思議だった。彼はわたしのことをイルカちゃんと呼んで来た。もうイルカでなくなって久しいので、さすがにそれはやめよう、と言った。


10年前繰り広げられたあれこれの思い出話は、なかなか尽きなかった。封印して二度と語らないはずだった思い出は、久しぶりに眺めて見ると意外と笑える要素だらけで、若かりし頃を恥ずかしくもほほえましく見つめることができた。
彼がこう口にした。


「もう、あれはもはや前世の話だよね」


前世。
誰にも見送られないまま孤島を離れた時、自らの頭を海水に打ち付け、わたしはわたしに殺された。泳げないイルカは海に沈んで散り散りになった。誰も見ていなかったから、イルカが死んだことを誰も知る由がなかった。
わたしの中身は、幸いすぐ人間の姿を見つけて次の人生を送ることができたが、平穏な日々を送っているにもかかわらず、イルカだったことがフラッシュバックしてしまうことがあった。
表現して消化するために、今も繰り返し海に再び飛び込み、散り散りになったイルカの身体を一片ずつ掬い上げ、もう一度つなぎ合わせるという途方も無い作業を続けているのだ。


会ったこともなかったのに、色々あったね、とお互い10年をねぎらった。あの頃は違ったのに、いまのわたしたちの人生は、大学や所属する業界が偶然にも少しずつ重なっていることが判明した。現実のコミュニティに取り込んでもおかしくないほど近い関係。これからはそっちの友達としてよろしく、と言い合った。
現世で新しい友達ができて嬉しかった。
でもやっと成仏できたイルカが、少し寂しそうにこちらを見ている気がした。


わたしは自らの手によって移った新しい浮世を渡りながら、本当にイルカだった頃の話を、前世の話をしていたいのかもしれない。
16歳だったイルカは、クラスに友達がいなくてやりたいことも無い、ただただ未来に絶望する高校生だった。10年かけてなんとか出来た目標が「前世の姿イルカを追うこと」であることは、自分で語るのにもなんともおかしな話である。

そこに線がほしいか

もし本当に人間が平等ならば、この世界に引かれる線など存在しないだろう。
でも現実では、地球に線はたくさん引かれている。
それは区別か?それとも・・・

 

 

先週の土曜日、クリエイター界隈の大きな新年会と銘打った交流会が開催された。私は去年も参加してとてもいい出会いのきっかけをいただけたので、今年も素敵な出会いに期待して参加した。ただ去年の盛り上がりからか運営メンバーやスポンサーが変わっていて、場所は新宿の一等地、300人参加というものすごく規模の大きな会となっていた。
混雑の中やっとの思いで去年この会で出会った知り合いを発見し、久しぶりの再会を嬉しく思っていた。
大きなクロークルーム、ボタニカルな空間デザイン、おいしいサングリアやシーザーサラダ、そして会話を弾ませるキラキラした人々。その先には壇上があり、3名の方々がトークをしていた。
SNSでこの会の概要を見ていたので、自己アピールタイムなるものが存在することを知っていた。しかしこのトークショーはどうやらそれではなさそうだった。司会の女性が「お三方がお話しているので静かにしてください!」となんとか会場を黙らせようとしている。(もちろんみなお喋りや名刺交換に夢中で静かになるはずがないのだが。)私は遅刻したのでこの事態を読み取ることができなかったので、知り合いに聞いてみた。「あれはなにが行われているんですか?」「あれはなんか、ゲストがトークしてるんだよ。」

 

ゲスト?

 

よく聞いてみると、広告業界ではとても有名な方々だった。そしてスライドを見せながら自身の実績を発表していた。
私はこの構図に、とても強く疑問を感じてしまった。

 

参加者のほとんどは第一線で活躍されているプロのクリエイターのみなさんで、学生など私ぐらいしかいない。だからこそこのようなことを思ってしまったのかもしれないが、デザイナーからライター、イラストレーターのマネージャー、映像制作会社の社長など、実際業種もポジションも様々であったし、誰かが教えて誰かが学ぶとか、特別な誰かの話を聞かなきゃいけないとか、そういう場所ではなかったように思う。自己アピールタイムでは、司会の女性は参加者を黙らせていなかった。クリエイター界隈の交流会と銘打っていたはずなのに、運営はなんの基準で「参加者」「ゲスト」身分に線を引いているのか、なぜ3人だけこういう場で特別扱いをする必要があっただろうか。

 

区別を強いられる場面は実生活で数多く存在する。必要な区別も、いらない区別も。社会ではあっても、線の無い場所を提供することこそが交流会の意義ではないだろうか、と感じてしまった。

 

 

壇上でのプレゼンが終わると「ゲスト」の前には長蛇の列ができていたにもかかわらず、3名とも一人一人にとても丁寧な対応をされていて、絶対疲れてそうなのにすごいなと思ってしまった。あの雑踏の中できちんと話を聞いていた人は、並んでいるうち何人なのかもわからないけれど。

 

宇宙には人間はまだかろうじて線を引くことができていない。しかし月にはもうすでに引かれ始めている。格差や権利の象徴としての線が主流で、これが社会の仕組みなのだろうか。それで経済は回っているなら理想論でしかないかもしれないけれど、ものづくりという太古の昔に人類が手に入れた美しい営みにまでそんな線は及んで欲しくないし、自分はそうでない心持ちでいたいなと思う。

捨てられない変えられない

今日、外でiPhoneを弄んでたら、誤ってアスファルトに落として画面にヒビを入れてしまった。2年以上大事に大事に使ってきたiPhoneは少し誤作動が多くなってきたので、そろそろ中古で新しいものでも買ってこいつは売ろうかなと思っていた。その矢先に、私のミスで傷をつけてしまった。こいつはもう売り物にはならないだろう。

 

前回iPhoneを変えようとした時もほぼ同じだった。機種変更する前日に地面に叩きつけてしまい、画面を割ってしまった。その時もそのiPhoneの中身をフォーマットして売ろうとしていたのに、一銭の価値もなくなってしまったのだ。お陰で前のiPhoneはまだ私の家で静かに眠っている。

 

大事にしてきたものほどこちらが一方的に突き放そうとすると、すがるように最後の抵抗を見せてくることがある。わたしは断捨離が苦手な人間なので、そうやって小さな抵抗を見せられると、思わず手を差し伸べてしまって、結局手元に置いておいてしまう。そうやって捨て切れないものをいくつも抱えておいて良かったことなんて、数えるほどしかないのだけれど。

 

でも断捨離できなかった結果が、万が一を救ってくれることがある。思えば小さなピンチを乗り越えて来られたのも、無かったことにできなかった経験や物を活かしたケースが多い。

 

自分がインターネットを介した出会いの研究をする為に、高校生の時オフ会で出会った男性に何年かぶりに連絡を取ってみた。そして今日ついに、話を聞くことが出来た。オフ会の記憶など早く抹消したかったはずなのに、自分が何者であるかを決定づける要素となっている。

 

結局こうして、変えられない過去を捨てないことで支えられている。未来を自分で切り開く力はわたしにはきっとない。このiPhoneもわたしの手を離れることなく、いずれわたしの目となり耳となりそして脳となり未来のわたしを救うのかもしれない。そう思うとこのバリバリの傷も少し愛せる気が…するわけない。傷ついたことは事実なのだから。

愛することは憎むことかもしれないけど、憎むことは愛することではないかもしれない

ツイッターTLで思い出深い曲をシェアしている人を今日も見かけてしまった。

もう何年も聴いていないその曲のタイトルを私はつい見てしまうのだけれど。

 

 

去年の暮れあたりから、昔付き合ってた人がinstagramのストーリーをのぞいて来る回数が多くなったことに気がついた。

彼に奥さんができたことを知り、気づいたらSNSのフォローを全部外していた。それが随分前。私と彼はナンパで知り合ったので、共通の友人はいても共通のコミュニティが存在しない。だから私の近況を誰かから人づてに聞くことはほぼ0%ない。私側も、彼の近況が耳に入って来ることはない。

 

 

「幸せすぎて思わず泣いてしまいました!」という文章と一緒に笑顔の結婚式の写真を上げているアカウントで元カノの日常をチェックするというのはどういう神経をしているのだろう。女は恋を上書き保存するけど、男は別名保存?そんなの知らんがな。通用しねえよ。昨日あれこれ考えてみてしまったのだけど、やっぱり行動をどうしても理解できなくて、昨晩ブロックしてしまった。

 

 

もうこれで、私たちは二度と繋がらない。

 

それでも、毎日情報は私たちの目と耳に流れ込んで支配する。

 

 

彼は次、いつあの曲のタイトルを見るのだろう。長く付き合ったから、該当する曲はたくさんある。

これからは、毎日かさ増しする情報の海にたまに落ちているわたしのかけらを拾って、その度に苦しみながら眠りについてくれたらいいなと思う。

展示を終えて

修了制作展(ずっと卒業制作って言っちゃってた)が14日、終了した。
このブログを読んでわざわざ来場してくださった方もいらしたようだった。ちゃんとご挨拶できなかった。本当にありがとうございます。いい意見も悪い意見もなんでもいいので、とりあえず意見が聞きたいです。
というのは、男性なのか女性なのかどちらでもないのか、スマホを持っているか持っていないか、出会い系アプリを使ったことがあるかそうではないか、どんなイメージを持っているか等、鑑賞者自身が置かれている前提の立場により、この作品の意見は様々に変化したようだったからだ。中には酷評もあった。しかし幅広い感想をもらえたのは、出会い系アプリに対する世間の様々な評価と重なっていて、必然的に見えた。

期間中お話した方やこの作品について展示アンケートに記入してくださった方の中に「なぜこのようなテーマの作品を作ったのか」という質問が多くあったので、言及しておこうと思う。


小さい頃から「自分は男の子っぽい」と自覚し、親にも「あなたは男っぽいからスカート履かないよね」「髪を短くするよね」などと言われて続けており、半分自覚・半分環境で「男っぽく振る舞わなきゃだめだ」と思っていた節があった。中学までは、男友達とまざって遊び、男の子みたいな乱暴な言葉を使って会話をしていた。
ある日、なんとなくアクセスしたメル友募集掲示板でメールのやりとりをして、その相手と実際に会ったら、普段の男のような扱いは全くなく、一人の女の子として見てくれた。そのうち2ちゃんねるmixiのオフ会に顔を出したり、さらには出会い系サイトで人と会うようになった。画面の向こう側から現れた人たちにチヤホヤされている姿を、親はもちろん、学校の同級生は誰も知らなかった。
それは女の子として扱ってくれる喜びもあったかもしれないが、画面の向こう側という全く知らない世界に生きる人にしか晒すことができない本当の、生の自分が存在することの喜びの方が強かった。
少女時代のこの強烈な体験を誰にも言わないまま、高校を卒業してからは忘れようとしていた。しかし大学院に入ってゼミでなんとなくこの思い出話をしたら、面白がられてしまったので作ってみた。これが理由。


実際今回作った作品でイルカちゃんと出会った人たちも、画面から出てきたイルカちゃんの普段の生活を全く知らない。その上で、その人たちが普段存在する現実社会で見せていない顔をイルカちゃんに見せていた。展示に来てくれた医師の友人が「医者と患者の関係に似ているね」と言ってくれて気づいたのだが、彼らがイルカちゃんだけに見せる顔や話す弱さは、自分の身の回りのどこのコミュニティにも属さないイルカちゃんと、出会い系というちょっといけない気がする秘密のツールを通じて会話する、という複雑な関係性の上に生まれていたものだった。


出会い系は、近年マッチングアプリという言葉に変えて私たちの生活にポジティブなイメージをもたらした。Tinderで作品を作っていたが、一貫してマッチングアプリとは言わず「出会い系アプリ」と記して来た。それは世間の「マッチングアプリで彼女とかカジュアルな関係を作ってもいいかもしれない」という流れと、未だ残る「出会い系」という言葉に抱くマイナスイメージを総括して言いたかったからである。
2〜3年後にはもしかしたら「出会い系」という言葉は廃れてマイナスイメージが払拭され、マッチングアプリはさらに普及し、もっと堂々とマッチングアプリを使う日が早く訪れるかもしれない。だから上記の秘密の関係云々の話は、2018年初頭にだけ存在する価値観なのかもしれない。

 

「この作品、続けるの?」という質問が次点で多かったが、鑑賞者自身のスマホQRコードを読み込んで映像を見せるやり方は結構評判よかったから、映像だけ新しくしてまたどこかで展示してみたい。けど映像だけの表現方法ではなく、いろいろチャレンジしてみようと思う。2018年に生きるだれかの繊細な感情を掬い上げておきたい。画面の向こう側の人と出会うことが当たり前の世の中になる前に。