大人の遊び

優しいことばをかけてくる人は、本当に優しい心を持っているんだと思っていた。

腹の奥から、優しい気持ちが自然に湧き出ている。まるでベビーパウダーのように細かい粒子が常に体のそとへ漏れ出し、まわりにふわふわと心地よい溜まり場を作っている。体内に残ったものは、たまに上の方まで優しく流れて来て、食道の付近までくると声の波に乗せ、頃合いを見て塊の優しさとして放出される。

 


優しい人の優しい気持ちが粒子の細かいベビーパウダーだとしたら、わたしの気持ちは一枚の羽みたいなものだ。羽毛ぶとんからぴょんと飛び出た羽を取るように気持ちを見つけて拾っては、声に乗せてふっと飛ばす。怒っている時や悲しい時、あるいはやる気のない時、羽は根元を剥き出しにして吹き矢のように激しく飛ぶ。羽を見つけたら飛ばす。また見つけたら飛ばす。それしかこの胸の内に芽生えた気持ちを伝える方法を知らない。

 


見つけて飛ばすくせに、人が羽を向けてきたら拒む。人の声に乗った吹き矢が飛んできたら吹き矢で追い返すし、優しい羽が飛んできたら入ってこないように守る。もし入ってきたら、どう対処していいかわからないから。

 


心理カウンセラーの先生は、ベビーパウダーの人も、もしかしたら羽を粉々にしていだけなのかもしれないですよ、と言った。

溢れ出ているベビーパウダーは、本当は鋭利な根本を持つ羽をすりつぶしていることもあるから、わたしもベビーパウダーの人になれる可能性があるらしい。生まれた羽のままをぶつけてきてくれる人も、それはそれで魅力的ですけどね、と先生は一言付け加えた。

 


でも、これからはできるならベビーパウダーの人になりたい。

思ったことをなんでも素直に言うことが必ずしも正義ではないんじゃないかって、なんとなくずっと思ってた。そういえば、そんなわたしに疎ましい目を向けてくる人が今までいた気がする。

相手の表情を垣間見て、声のテンポを掴みながら、優しく微笑んで、時に言葉を発する。それは、なにかを少し知った者だけができる、高尚な遊び。その遊びをする人が少し前までは眩しく見えてたが、今もう少し頑張ればできるような気がする。

達筆な男

もう何年も会ってないのに、ふと、「今何してるんだろう」と思い出す人が何人かいる。

彼もそのうちの1人だった。


リンは、当時周りにいた男性達とは若干違う立ち位置にいた。当時の交友関係といえば、半年も経てばほとんどが入れ替わりになるようなものすごい変化っぷりだったけど、リンとの関係はなぜかしばらく続いた。

リンはつかみどころのない男だった。ガラケーのキャリアのメールアドレスで連絡を取るのが当たり前だった2000年代初頭、アドレスを教えてくれないのでずっと捨てアドと呼ばれていたフリーのメールアドレスで連絡を取っていた。会う部屋も、6畳一間の日もあれば、シェアハウスのような場所の時もあった。そして何度も会っていたのに、彼はわたしにずっと「リン」と名乗っていた。

本当の名前を教えてと何度もお願いしたけれど、たまに高田延彦と答えるくらいで、結局教えてくれなかった。なぜ頑なに名前を教えないのか、わたしがもう少し大人だったら薄々感づいていたのかもしれない。あの時はまだ子供すぎて、よくわからなくて、リン、そしてたまにノブと呼んでいた。

どうしても本当の名前を知りたかったわたしは、ある日の夕方、一緒に寝ているベッドをそっと抜け出し、名前の手がかりになるようなものを探すことにした。バンドスコアやCD、ほこりに埋もれた机の上を、一枚一枚、一冊一冊、指先で丁寧に退けていく。あと少しで机が見えると思った瞬間、携帯電話の契約用書類を発見した。一目で男性のものとわかる、無骨な感じが並ぶ名前。トメ・ハネ・払いを完璧に抑えた、力強くて立派な字だった。

正直、とても驚いた。こんなに生命力に溢れた字を今まで見たことがなかったし、それがリンの部屋の一番奥の場所にあったから。でも、彼の名前だと確信した。わたしは、頭の中で何度も復唱した。

 


リンと会わなくなって数年経っても、ごくたまに、ぼんやりするとあのトメやハネを頭の中でなぞることがあった。

その名前で検索してみたこともある。

何があったか知らないが、明らかに私怨と思われるリンの中傷をする書き込みが目立った。リンの出身地、家族に関する記述、そして今の暮らし。本当のことがどのくらい書かれてるのかわからないけど、誰かの憎しみのおかげで、わたしはリンの近況と、どうしてリンがリンの全てを教えてくれなかったのかを知った。

それからずっと、リンのことなど頭の中から消え去っていた。

 


今日の夕方は、久しぶりに長い打ち合わせだった。

目の前の席には、初めて会う取引先の人がいた。目が合い、会釈をした。打ち合わせが終わり「ご挨拶が遅れましたが」と差し出された名刺には、あの名前と同じ苗字が書かれていた。

あっ、と思ったと同時に、ベッドから抜け出してようやく見つけたあの立派な字のことを、まるで昨日のことのように思い出した。

久しぶりにリンの名前で検索してみた。


その名前の下には「容疑者」と付いていた。

特殊詐欺事件に、リンは受け子として関わって逮捕されていた。


一通り固まったあと、わたしは自分の名前を、目の前のノートに書き記してみた。一字一字、やや右に上がっている。ここ3年くらいの癖だ。

書道が大好きだった小学生の頃からは考えられない、中心を避けるように踊る字。そのおかげでバランスが取れてるんだか、結局取れてないんだか。


弱きものを騙した手で、リンは今でも、立派な字で名前を書いているのだろうか。

わたしはもう一度、頭の中であの立派な字の輪郭をなぞった。

ポルノとファンク

昨日は彼氏とカラオケに行った。いつものように各々好きな歌を歌っていたが、わたしの松浦亜弥を皮切りに、00年代のMステスペシャルみたいなラインナップになった。いきものがかりORANGE RANGEaiko、ポルノ。ポルノだけやたら歌い方がアキヒトっぽいねと指摘したら、自分の胸から腰を両手でめいっぱいさすりながら、ポルノは俺の血肉だから!と高らかに宣言していた。

今やファンクやジャズが好きな彼のどこを辿ればポルノの血肉にたどり着くのかが全く想像できなかったが、きっと秘密のルートがあるのだろう。それとも、そこまでの道は断絶されたか、もしくは血肉ごとすでに体外に排出されてしまって存在した痕跡だけがたまたま残っているだけか。

 


なにか悲しいことがあっても、いずれ血となり肉となるのだろう。ていうか究極、日々を過ごしているだけで、きっと血となり肉となるのだろう。そう解釈して納得することは、優しくて甘いことだ。出来事の良かったところだけを掬って集めて、胸のうちに大事にしまっておける。

 


血肉となった音楽には、音楽があって、音楽を聴くための機械があって、それを聴いている自分がいて、その自分がいる部屋や周りの環境がある。それがたとえ味気ない灰色の景色だったとしても、すこしだけなにかに反射した光が、今、何年かの時を経てマイクを通って外の空気に触れた。

いくら知らない音楽を教えてもらっても、わたしが知れるのは彼の声が乗ったきらきらのメロディーだけで、彼の血肉がポルノからファンクへと変化していった先にあったはずの灰色かなにかの色の景色を、永遠に見ることはできない。そういうことに、一抹の寂しさを感じたりした。そんな日曜の夜だった。

会社を休んだ日は

目が覚めるとみぞおちのあたりがひどく痛んだ。開けっ放しのトイレに駆け込んでしばらく踏ん張る。鼻で叫ぶ。腹を目一杯さする。

昨夜は料理する気も起きない日で、随分昔に買っておいた激辛インスタント麺を茹でた。電子レンジで。丼に乾麺とかやくを入れ、ひたひたに濡れるまで水を注いで、蓋を閉めずに600Wで6分。麺が少し固かったからか、激辛が体調に合ってなかったからか、真相はわからないけど、どうやら腹を壊したらしい。

5分に一度、波が訪れる。波が収まるまでは動くことも困難だ。家を出たら8分は歩かなくてはならない。このまま家を出たら駅に着く頃には、きっと取り返しのつかないことになっているだろう。とりあえず、午前中だけ会社を休むことにした。

 


申し訳ない気持ちでいっぱいのまま男性の上司に報告すると、大丈夫?無理しないでね、と返事が。本当に優しくてありがたいけど、腹痛まで報告してしまったので月経だと思われるのはなんだか忍びないな。一部の界隈で、生理を恥ずかしいことだと思わないムーブメントが起きていて、すごいなと思う。わたしはまだ恥ずかしいと思う側の人間。午前中しか休みを取らなかったのも、きっとその思考の延長線上にあると思う。早く向こう側に行きたい。

 


そんなことを思っているとまた腹痛が襲ってきて、大きなライトグレーのラグの上に寝転がってうーうー言った。ラグの毛が目に入りそうになって、目で払う。こんなにごわごわしてたっけ。うさぎが心配そうにこちらを見ている。

寄せては返し、寄せては返しの波の中。なぜか全く関係ないことばかり頭に浮かぶ。あれやんなきゃとか、あのこと考えなきゃとか色々思ってたけど、結局ぽつぽつ浮かんでは消えた。11時半には波は弱まり、そういえばラグがなんとかって考えてたよなと思い出し、手を伸ばしてスマホを取った。『ラグ洗い方』で検索する。浴槽での踏み洗いが有効らしい。

冷静に見渡すと、この部屋は余裕がない。脱ぎ捨てられた服、置く余地のない机。午後の出勤まであと2時間ちょっと。こういう時間って、こういうことをやるためにあるのだろう。

 


脱ぎっぱなしの服を一枚一枚畳み、押入れに入れる。そしてめりめりとラグをめくる。意外と重たくて尻餅をつく。うさぎはなにが起きたのか理解できてなくて、うろたえている。

やっとの思いでラグを持ち上げると、なんだわたしだって休めるじゃないかと思った。「腹痛おさまったらすぐ行きます!』とか言わなくてよかった。これはわたしが勝ち取った午前休だ。今日わたしはやっと休めたのだ。その証拠にこのラグを洗ってやる。そして洗いたてのふかふかのラグに横たわって今日はうさぎと眠るのだ。

やってやったぞと言わんばかりの表情でふと外を見ると、レースカーテンの受ける形がやたら激しくて不安になった。天気を調べてみると、東京ではこれからよくわかんない時間に雨が降るらしい。わたしはラグをそのままその場に置いて、しばらくその上に座ってしまった。うさぎはお気に入りのラグが戻ってきて嬉しかったのか、ぴょんぴょこ走り回っていた。

さっきまで遠くで響いていた体育の時間の声は、もう聴こえなくなってしまった。次にラグを洗う気になるのは、この部屋を引き払う頃かもしれない。心の入る余地のない時間が、あと1時間で始まる。それは永遠に終わらないように思えた。

平日ではない名前

ゴールデンウィークの間、わたしは完全に西片例だった。

 

何を言っているか理解できないと思う。わたしもあまりわかっていない。

西片例という名前は、わたしがわたしにとりあえずつけた名前だ。この名前は非常に便利で、絶妙に本名っぽいから本名と思われることもあるし、でも本人はHNのように様々な場面で多用している。

この連休の間、本名の殻を脱ぎ捨て、わたしは思う存分西片例をやった。2年ぶりとなる展示。その前後の準備で、西片例として使用する機材や工具を購入した。西片例として知り合った友人と会った。途中でお腹が空いて、わたしは西片例の体に食べ物を詰め込んだし、その食べ物は西片例が排出した。なんか楽しくなって、はてなブログのデザインを変えたり、次回の発表について考えたりもしていた。

仕事で忙しくしてると、それ以外のことがどうしても疎かになってしまう。西片例もそうで、創作する意欲が全くなくなってしまって、ツイッターに短文を書き込むのすら嫌になってしまう。しかしそんな自分から距離を置くことで、わたしは心から西片例を楽しんだ。

 

今日は少し会社で仕事をした。9日ぶりに戻った机はどうしてこんなにとっちらかっているのかがわからなかった。まるで1000年くらいほったらかしにされていたかのような、不思議な孤立感を醸し出していた。座って作業してみても、靴下が裏返っていることを知らずにそのまま履いているような違和感がある。ついこの前までここに1日座って作業したり、電話を取ったり、ご飯を食べたり、全てをしていたのに。思い出せない。

 

しかしこの机もあと一週間経てば、また本名の自分で汚されていくのだろう。本名の自分とは所詮、平日の自分を言い換えただけだ。その事実に気づいて悲しくなって、わたしは、西片例をまだやりたいなと思った。

 

2年前に作った西片例の名刺が、2日間の展示で見事に捌けた。次いつ西片例として人に会うのかわからないけど、追加で入稿しておいた。到着は木曜日。せめてそれまでには、わたしが平日のわたしに毒されていませんように。

作品「the empties(仮)」について

明日と明後日、修了ぶりに新作を発表します。

題名は「the empties(仮)」。明日ちゃんと決めます。

以下、概要文的なやつ

 

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なにか目に見えない、でも大事な時間がものすごいスピードで進んでいることはわかる。ニュースによるとどうやら時代は本当に変わるらしい。日々がどんな形であるかも全て把握しきれぬまま、知らぬうちにふっと消えてしまいそうな気がした。

 

だからただ記録しておきたいと思った。もう永遠にやってこない平成30年、27歳、この狭いワンルームで生きていたという事実を。

 

毎晩コンビニで購入するドリンクをメディアとし、生活を記録する。

封を開けて中身を飲み干し空になるまでの時間を蓄積してきた。

 

開けられた封は、もう二度と閉じることはない。ものがわたしを経験し、わたしとともに風化していった過程を、いまここに蘇らせる。

 

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展示概要

展示期間:5/3-5/4

イベント名:SICF20 https://www.sicf.jp/information/

場所:表参道spiral 3F 

goo.gl

 

 

朽ち果てるその前に

19歳の時、予備校に行く道で顔からコケて、前歯が少し欠けてしまった。すぐさま周りの大人に歯医者に連れて行かれ、欠けた部分を補うように詰め物を施し、元どおりの前歯の形に仕立ててもらった。

時は過ぎ22歳の頃、学食でカレーを食べていたら、その前歯の詰め物が取れてしまった。歯医者へ行くと、詰め物の隙間から食べかすが入り、虫歯ができてしまっているとのことだった。大人虫歯によくある事例らしい。詰め物の色は変色しなんとなく違和感があったので、取り替えるのはちょうどいいと思った。4年前に割れた場所を少しだけ削り、少しだけ大きな詰め物に付け替えてもらった。

さらに時は過ぎ25歳の頃、大学院でポテチを食べながら作業していたら、前歯の詰め物が取れてしまった。歯医者へ行くと、詰め物の隙間にまた少しの虫歯ができているとのことだった。紅茶にハマってステインで元の歯が少し茶色くなったせいか、詰め物との境目も目立って来ていたので、ちょうどいいと思い、6年前に割れた箇所をまたさらに少しだけ削り、さらに大きな詰め物に付け替えてもらった。

そしてさらに時は過ぎ27歳、会社で夜ご飯を食べていたら、前歯の詰め物が取れてしまった。20時を回っても営業している歯医者をなんとか見つけ出し、すぐさま駆け込んだ。案の定、詰め物の隙間には少しの虫歯ができているとのことだった。紅茶はもう飽きたし詰め物も変色してまるで毎日歯に何かが挟まっている人みたいでとても違和感があったのでちょうどいいと思い、8年前に割れた箇所をもう少しだけ削り、さらに大きな詰め物に変えてもらった。

「詰め物が大きくなって欠けやすくなってますから、固いものはあまり食べないようにしてください。欠けたらまた取り替えますけど、もしあまりに欠けるようでしたら被せる方法も考えますので、その時は言ってください」

前歯のこれからについて言及されたのは、これが始まりだった。

 

身体に精神が追いつかなくて、自分は歳を取らないと信じている節がある。半年前、アラサー用のパックを初めて試してみた時、あまりのフィット感を信じたくなかった。健康な皮脂も、歯も、髪も爪も、いつまでもあるものだと思っていた。

もうわたしの体は成長しない。あとは朽ちていくのを待つだけだ。

その朽ちて行く身体をなんとか維持するため入れ替わり立ち替わり人工物を継ぎ足しているけれど、その度に自分の細胞の面積を擦り減らしている。そのせいで1つの細胞の集積所が、立ち退いてしまいそうになっている。

こんなこと意味があるのだろうか。でも維持しなければならない。まるで綺麗な時間だけが自分の前を常に通り過ぎているように見せていたいから。

19歳の過ちはもう戻ってこない。今のまま止まってもくれない。時間は進むのみ。3回目25歳の時までは買えなかった電動歯ブラシとちょっといい歯磨き粉で、これから自分の前を過ぎ行く時間を、永遠に綺麗に見せることはできるだろうか。