西片例の、

スプーン一杯のノンフィクション

まだ見ぬ坂道の果て

久しぶりに歩く道玄坂は、とてつもなく長い道のりに感じた。2018年の夏はもうすぐそこまで来ているようで、待ちきれずに翳りのある坂の隙間から丸く小さい光をゆらゆらとこぼしている。平日だというのに、渋谷という街はどこもかしこも若い人だらけで、人と人の間を縫うように歩くので精一杯だ。この坂を登りきったら、いくらか涼しくなるだろうか。この坂が終わる一番高いところをめがけて、首筋に汗を這わせながら駆け上がった。

 

 

初めてケータイを親から手渡されたのは、中学に上がってひと月経った頃だった。まだ小学校を出たばかりのわたしにとって、あの青い2つ折りのケータイは見たことのない世界を簡単に見せてくれる魔法の機械だった。

あの場所をどうやって知ったかとか、どんな場所だったかとか、正直あまり覚えていない。とにかく暑い日だったのは覚えている。水泳の授業が終わって家に帰り、タオルケットに寝そべりながらふらふらと漂っていたら辿り着いていた。性別・年齢・そして一言コメントが羅列していたその場所で、わたしはマイという名前の女の子となった。

もう一つ覚えていないのが、どうしてマイはその男を選んだのかということ。彼の名はハルと言った。ハルは東京のトピックに投稿していたのにもかかわらず香川県に住んでいた。骨折して入院していて暇で、香川県だと誰も引っかからないし、近いうちに東京へ出てこようと思っている。その投稿を見つけたマイがなんとなくメールした。覚えていることはこれだけ。

 

反抗期真っ只中で、家族と衝突が続く日々。みんな日常の苛立ちに各々で疲れていたのか、友達をシカトして遊ぶゲームが流行った。中1が制服のスカートのウエストを折ることは許されず、言いがかりをつけられて先輩に怒られることもしばしばあった。地味で目立たないことを強いられる生活。勉強は全然好きじゃないし、今は仲良くしてくれるクラスメイトに、明日シカトされるかもしれない。あの小さすぎる世界で毎日生まれては消える闇は、そんな事情を全く知らない誰かと文字だけの会話をすることで、いくらか和らいだ気がした。

学校の中でケータイの電源をつけてはいけないので、マイとハルが会話できる時間帯はもっぱら登下校中と家に帰ってから。ハルは自分の自撮りを送るのが好きだった。誰にも言えない悩み事や他愛もない話も、家に帰って親にするのではなく、ハルにしていた。自撮りの中のハルはいつもマイを優しく見つめていて、声を発さないやりとりはどんな会話よりも暖かかった。親にケータイを折られたり、学校で使っていることがバレて没収されても、マイはこっそり家族兼用のパソコンからハルにメールした。マイの生活にハルは必要不可欠な存在になっていた。「いつ東京に来てくれるの?」マイは優しいハルと本当に会って話がしてみたくて、毎日質問した。「11月までには。」「3月中には。」「仕事が決まったら。」ハルの答えは、いつも遠かった。

 

結局ハルと初めて会ったのは、中学3年生になった頃だった。実はその時のことを、ほとんど覚えていない。

今までずっと、マイは自撮りの中のハルと対話してきた。実際にハルを目の前にしても、ハルはハルではない別の人のように見えた。同時に、マイはマイではないような気にもなってきてしまった。文字だけのやり取りの中ではあんなに話が盛り上がっていたのに、いざ対面すると何を話せばいいのかわからなかった。その後もメールは続いたものの、中学校から怖い先輩はいなくなったし、さらに形だけの彼氏ができ、当時の生活にもうハルは必要不可欠ではなくなっていた。「マイ」はいつしか、体から少しずつ抜けて行った。同時にハルは、物凄いスピードで東京の人になって行った。新しいメールアドレスはハルに教えなかった。ハルとは、それっきり。

 

 

坂の頂上の先には首都高が開けていて、大きな車が飛ばすように走っていた。さっき登り始めた場所を見下ろすと、長いと思っていた坂はそこまで長いと思えなかった。きっと歩いている時には感じなかったけれど、思っていたより急だったからだろう。打ち合わせが長引いてしまい、5分ほど遅れてしまった。息を整えて軽く咳払いをして、ハンドタオルで汗をぬぐって、前髪だけクシで流して、少し歩いてから立ち止まった。

「ハル」

明るい髪の男性が、こちらを振り返った。

 

少し沈黙してから、目尻を落として「大きくなったな!綺麗になったなぁ!」と、優しく話しかけてくれた。口角に少しだけシワを作っていて、最後に会った時よりも少しおじさんになっていた。

Facebookで見つけた時はあまりわからなかったけれど、随分いろんなことがあったらしくて、語ってくれた。今は40歳。職場はすぐ近くで、WEBエンジニアをやっている。つい最近離婚した。前の奥さんのところに5歳の娘がいる。髪の色も体型も変わっていて、分かってはいたけど、彼はもうハルではなかった。かつてハルだった人。そしてわたしは、マイだった人。実際に対面して違和感を感じたあの時、ハルとマイがどんどん過去になってしまうことが悲しくて、自分から距離を置いた。けれど、今はそれでもいいかなと思った。わたしもマイではなくなって久しいし、いつまでもこの人をハルにしておくわけにはいかない。じゃあわたしは今、誰?この人はハルではなくて、今は誰?匿名というのは名乗らないことではなくて、いくつも持っている名前が作り出す存在なのかもしれない。じゃあわたしたちは今、匿名だ。わたしたちには今、名前を持っていないのではないか。ハルだった人の思い出話を受け流しながら、そんなことを考えていた。

 

これからはハルとマイの関係ではなく、社会人としていい関係を築けたらいいな、なんて思っていて、なんとなく名刺を持って来た。道玄坂の雑踏に彼が消えそうになった瞬間、そういえば初めて会った場所も渋谷だったことを思い出した。同時に、やっぱりこの人をハルとも呼べなくなってしまうのは寂しいと思ってしまった。名刺は渡さなかった。姿や形がなくなってしまって、あの頃のことをもう誰も覚えていないとしても、やっぱりわたしはこの人のことをハルとしか呼べないし、彼もまたわたしのことをマイとしか呼べない。14年前の夏から、多分これからもずっと。

 

 

 

 

 

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最近はこっちに毎日短い文を書いている

note.mu

わたしのなりかけのもの

桃、メロン、デコポン。人は乳房を果物に例えたがる。かぶりつきたくなってしまうからか。溢れ出た最後の一滴さえも飲み干してしまいたいからか。

わたしには乳房が無い。小さいのではない。シャワーで、更衣室で、ベッドで、わたしの裸を見たことがある人は大方理解してくれると思うが、無いのである。

なる予定だったものならかろうじて存在する。もう十何年も前から、このなりかけのものはきちんと成長してくれるのだろうかと毎日心配していた。鶏肉、キャベツ、マッサージ、いくら何を試しても、残念ながら大人になってもそれが’’なること’’は無かった。

 

男の頭を抱いて寝るのが好きだ。こんなわたしでも母のように誰かを包み込むと、女としての威厳を守られたような気持ちになるのだ。でもわたしには乳房が無い。まな板のように硬い胸を目の前にして眠らされていると思うと、不憫でならなくなってくる。そりゃきっと、暖かくてふわふわの世界の中で眠れた方がいいだろうなと思う。

梨、すいか、グレープフルーツ。わたしのものも本当に、彼女たちと同じように栄養をもらって成長した果物なのだろうか。女として、そして誰かの未来の母として、非常に気がかりである。

やわらかな布をつんと突き上げる控えめな膨らみも、ぴったりと張り付いて自身のラインを強調する膨らみも、全部眩しい。ゆるい首元の奥深くが見えてしまうと、思わず目をそらす。結局持つことができなかったそれを見ると、嫉妬とも羨望とも少し違う不思議な感情が私の頭を完全に支配するのだ。この感情に名前をつけるとしたら、一体なんなんだろう。乳房とはどういった具合のものなのだろう。わたしは観察してみたいと思った。

 

万が一履歴が残っているところを仕事の人に見られたら大変なので、自分のラップトップではなく漫画喫茶のパソコンを使用することにした。2畳ほどの狭い部屋にぺたんと座り、デスクトップのアイコンをダブルクリックする。そして震える手で、わたしでも知っている大手セクシーサイトの名前をタイピングする。じきに展開されたそれは、多くの女性たちが快楽に顔を歪めて体をくねらせている様子を収め、そのどこか一瞬の画面を切り取られたのが画面を埋め尽くしている様子だった。わたしは馬ほどのブツをお尻の穴にブチこまれている画面の右隣の、巨乳の女性の動画をクリックした。

画面の中で、女性はカメラに気づかずシャワーを浴びていた。それを画面越しでじっと見つめる。綺麗な形のお椀型の乳房は水をよく弾く。むちむちと触り心地のよさそうな彼女は、乳房も大きかったが、とても鳩胸だった。まず胸がここまで厚くないとこの大きなメロンを支えることはできないのか。なるほどわたしの骨が透けた胸ではなにも太刀打ちできない。

こんなに大画面で堂々と彼女の裸姿を見ているのは、いささか滑稽に思える。壁が薄い。もし画面の中の女性の声なんかが外に聞こえたら、きっとこの薄くて低い壁の上から隣の人が顔を覗かせてくるかもしれない。わたしはもう一度ヘッドホンのジャックが穴に刺さっているか確認した。

男女の絡みではなくたまたま盗撮モノを選択してしまったのだが、彼女の日常を想像してしまった。大きい乳房があることで、足元を見るのにも一苦労なのか。うつぶせに眠ることはできないのか。本当に肩が凝るから、座ると机の上に乳房を乗っけると少しは楽になるのか。シャツのボタンは止まるのか。服のサイズは。男性からの視線は。そして、それを触った感触は。そのすべてを自分に置き換えてみたけど、驚くべきことに全くイメージすることができなかったのである。下を向いたら2つの膨らみが視界を阻んでいる様子を、具体的に想像できないのだ。例えるなら、しっぽがあるならとか、角が生えたらとか、そんなレベルの話なのである。女性として生まれたと思っていたのに、わたしから見ると、世の女性たちとはそれくらい遠く離れた種族だった。

 

ひとしきりエッチな動画を見ても、なりかけのものがどうにかなるわけではない。下を向いても、やっぱりわたしには乳房が無かった。わたしは何か知ってはいけないことを知ってしまったような気がしたが、忘れようと首をぶんぶん振り、引き戸を開け、暗くて小さな部屋を後にした。

バスに乗って

先週も会社で、あいも変わらず下っ端業務をこなしていた。雑用係は嫌いではない。余計な責任を追わなくてもいいから。でも、せっかく入ったので早くここから脱却したい気持ちもある。なにか大いなることをして、周囲のひとをあっと驚かせてみたい。会社の人たちがきょとんと黙る顔を見てみたい。 そんな秘めた想いがあった。

年に1度しかないその資格試験は、偶然にも現在受験者を受け付けていて、締切は3日後だった。これはただの偶然ではないと思ってしまい、わたしは、とある資格試験を受けることにした。

膨大な提出資料をまとめていると、大学の卒業証明書が必要なことが分かった。どうやら卒業生は証明書を作るのに、わざわざキャンパスまで出向かなければならないらしい。郵送だと一週間ほどかかるそうだ。もう間に合わないので、半ば仕方なく、卒業して以来行っていなかった大学のキャンパスに足を運ぶことになった。

 

わざわざ午前休を取って向かったその場所へは1時間半で行けるはずだったのに、ちんたら電車を間違えていたら2時間もかかってしまった。下車してすぐに青いバスに乗り込む。東京のはずれの、大きな川とトンネルを抜けた先にある広い原っぱの中に、その場所はある。学校に行く、というよりは、広大な土地にぽつんと置かれた不思議な形をした窓の建物を目指すと言った方がしっくり来る気がする。初夏のきらめくような新緑の中を駆け抜けるのをぼーっと横目で見ていたら、大きな荷物を抱えたベレー帽の女の子が降り支度をし始めたので、わたしも席を立った。

およそ2年ぶりのキャンパス。懐かしいとはまだ思わなかった。むしろこんな遠い所へよく毎日通っていたなと、当時の自分をねぎらった。でも、森とベレー帽の女の子と不思議な窓の建物のせいか、ずいぶん夢みたいなところに来てしまったなと思った。

事務的な手続きを済ませて資料を受け取り、わたしはいつもの生活に戻るため再びバスを待った。

10分ほど待ったところで、バスはやっと停留所に到着した。それまでスマートフォンに夢中になっていたが到着したので目線を正面に戻すと、目の前に窓ガラスがあった。わたしはそのガラスの中で、妙に大人びた顔つきで佇んでいた。

 

自分の核の部分は15歳ぐらいの時から変わっていないと思っていたし、あまり老けて見られる外見ではないので、老いることをさほど気にしてはいなかった。でも、たしかに確実に時は経っているのだ。そんなこと頭ではわかっていたのに、毎日の生活ではそんなこと当たり前すぎてなかなか気づかない。

やたらまざまざと自分が老けたことを突きつけられた気分になった。周りに若い人がたくさんいたからかもしれない。でも、自分が大きな荷物を持ってこの列に溶け込んでいた頃の顔を、全く思い出すことができなかった。

そしてあたりを見回して少し考えた。こういう未来になることって、いつから考えてたんだっけ。この未来になることって、誰かと約束したんだっけ。この未来に、この場所は結局関係あったんだっけ。人に納得してもらうための簡単な短い文章なら思い出せるのに、その答えに行きつくまでの紆余曲折を、すっかり思い出せなくなっていた。

そうやって、全部忘れて行ってしまうのだろうか。キャベツの葉を一枚ずつ剥いでいくように、当たり前だと思っていたことから、ひとひらずつ。取りこぼしてしまっても、そのひとひらさえも拾って抱きしめてこれからも生きていきたいと思っていたはずなのに、それは意外と難しいことなのだろうか。それとも、本当のところ今となっては、結構どうでもよく思っているのかもしれないとも思った。

 

駅前のロータリーは、こんなに晴れているのに今日も薄暗かった。駅前のミスドで昼ごはんを食べたかったが、上司から留守電が入っていた為早く会社に戻ることにした。

ホームでわたしを待ち構えていた日常行きの電車のガラスは、照り返す12時の初夏の太陽がまぶしくて、直視することができなかった。

NOW ON AIR

わたしの席は、うしろにラジオがある席だ。

下っ端のわたしは、毎朝一番早く会社に来てラジオにスイッチを入れる。突起物を指で軽くぽんと押してしばらくすると、息を吹き返したように爽やかな時間を一気に奏で出す。それまで静まり返っていた部屋は、一気にあざやかに体に飛び込んでくる。あまりに大きく情景が切り替わるので、1日はここから始まるような、そんな気さえする。

今日も誰かの手にかかって作られた音楽が新曲として紹介され、流され、やがて見えなくなっていく。

 

大学生の頃、わたしは売れないバンドのキーボーディストだった。よく出演するライブハウスには同じ夢を追う仲間がいっぱいいて、互いのバンドのライブにもよく足を運んだ。わたしたちはお互いの成長をお互いで見ていたいと思っていたし、心の底では自分たちにとって大事なライブの動員を増やしたいためとも思っていた。

友達バンド伝いで新たに友達ができることがあった。友達にならなくとも友達の共演者とは打ち上げの席で軽く会話を交わすことはあったけど、その場限りで終わるということもあった。だから、「なんとなく名前は知ってるしライブも何度か見たことがある」というバンドはとてもたくさんあった。

 

先日、いつものようにラジオのスイッチをつけると聴き覚えのある名前が聞こえて来て、耳を疑った。

 

遠くから、ずっと見ていた。5年前友達のバンドの主催ライブに出ていて、かっこいいなと思っていた。多分かっこよかったですと直接本人たちに言ったと思う。その後何度かライブを見る機会があったり、そのバンドの情報がリツイートなどで回ってくることがあった。結構長いことやっているらしく、バンド表記を一瞬変えたり、メンバーチェンジをしたりしているのもなんとなく見ていて、ずっとバンドやると色々あるんだなあと思っていた。

 

そのバンドだった。

さらに軽く調べただけで、流れていた曲が深夜アニメの大型タイアップであるという情報が出て来た。思わず手で口を覆った。

 

わたしがバンドを辞めてすぐに、打ち上げで一緒になった同年代のバンドが数組デビューした。頭が痛くなるほど嫉妬した。もう張り合う相手ではないはずなのに、未だにタワーレコードの入り口に大きくポップアップが出ている音源を聴いたことがない。というか、聴けない。下手くそだったし売れなかったけど、好きだったから頑張ってきた音楽活動を取り上げて遠いところに大きく振り投げたのはわたし自身なはずなのに、どこかで「まだできるかもしれない」という気持ちがあったのだろう。その割には不安定な、何者でもない時間が多すぎた。

 

彼らがこうなるまでの思いは、辞めたのわたしの捨て台詞みたいな嫉妬なんかきっと比べ物にならなかったんだろうなと思う。

記憶の干潟にできた溝には早すぎる川が流れていたけれど、片手でスイッチを押すとじきに埋まった。彼らはあまりに遠いところにいたけど、話もしたことなかったのに、向こうは知っているかもわからないのに、向こう岸で手を降っているような気がした。わたしはその姿を確認できたことに感動した。

ほかの同年代のバンドのデビューが決まった時はあれほど悔しかったのに、一言も会話をしたことがないそのバンドの偉業は、何故か心の底から嬉しかった。

 

わたしはラジオをつける作業が好きだ。わたしはここにいる、毎日そう繰り返し告げることができる、1番簡単な方法。彼らは流行の荒波の中、ここにいると世間に爪痕をつけている。それに比べたらわたしのなんて、いち組織のいち部屋で、あまりに軽いけど、わたしの日常は宇宙とたしかにシンクロした。

 

朝日がブラインドの隙間から差し込んで、わたしの小さな席と、そのうしろを照らす。ここの部屋の彩りは、この誰にも邪魔されたく無い大事な時間からはじまる。どれだけ存在価値が無くなっても、どれだけ偉くなっても、毎朝ラジオを付ける係は続けていたい。誰かに言われたちいさな仕事でも、こうやって些細過ぎる居場所を見いだせれば、自我を保っていける気がするのだ。

明日の朝も、一番早く会社に行って、うしろのラジオにスイッチを入れる。

 

 

忙しなさの果てに

年度初めの1週間はとにかく忙しかった。入社して間もない中で様々な現場を経験できたのはありがたかったが、オシャレなインテリアを置く計画をしていたわたしの8畳の城は、もはや寝る為だけの箱と化した。
それでも文化的な生活を営むための最低限の家事は強いられた。特に洗濯物はよく溜まる。回して干す時間があったら寝たいのだが、そうはいかない。実家から持ってきた何かのオマケの洗剤は、何回か使うともう底をついてしまった。タクシーで家に帰って、やっとの思いでシャワーを浴びて、歯を磨いて眠って、いつのまにか朝になり、また歯を磨いて家を出る。たったそれだけなのに、体から出た不要なものは、衣類に付着してあっという間に部屋を占領する。ドラッグストアは閉店しているし、少し離れたスーパーにわざわざ行くのはめんどくさい。仕方ないので少し値段は張るがコンビニで手を打つことにした。

近所のコンビニは謎のセールを開催しており、洗剤が通常価格より50円ほど安かった。ここで洗剤を買う人などそうそういないのか、埃をかぶっていた。やっと洗濯ができる。いくら部屋が汚くても、身なりだけは綺麗にしておきたいと思ってしまうのは女の性だ。銘柄の選択肢は与えられなかったが、満たされた思いで帰宅した。

洗濯機に入れて、スイッチを押す。その間にさっとシャワーを浴び、歯を磨く。洗濯機が停止したので、洗いあがった衣類になんとなく鼻を付けると、一瞬時が止まったような気がした。
嗅いだことのある香りだった。

いつも忙しそうにしていた。そして余裕があまりなさそうだった。いい歳して実家でのうのうと学生生活を満喫していた私のことを、本当はあまりよく思っていなかったのかもしれない。それでも私が一緒にいたいと言ったから少しだけ私と一緒にいてくれた人。

その忙しい人の家に置いていたパジャマが段ボールに詰まって送られてきた時、箱を開けるとぶわっとその香りで部屋がいっぱいになってしまい、どうすることもできなくなって中身を全部捨てたことを思い出した。
でもたまに街ですれ違った人から同じ香りがすると、思わず振り返ってしまった。もう二度ともう思い出したくないと思っていたけど、多分心のどこかで探していたこの香りは、自分が自分であることを忘れてしまいそうなくらい不安定な生活の果てに居座り、わたしを待ちかまえていたのだった。

比較的穏やかな一週目の土日を迎え、部屋でも綺麗にするかと思い立った。まだ閉店まで時間のあるドラッグストアで、トイレットペーパーと詰め替えのシャンプーと、新しい洗剤を買った。
コンビニの洗剤は、遊びに来た友人にあげた。あのことはもうほとんど消化できた。けどあの香りを自分の生活の一部にすることだけは、もう少しだけ時間が必要だと思った。わたしはまだあの人より忙しい人ではないし、という言い訳で。

粥の味

学生最後の一人旅でニューヨークを選んだことに特別な理由はなかった。しばらく長い遠出はできなそうなので、まだ行ったことのない遠くの土地を踏んでみたい。そんな軽い気持ちだった。でも、加えてわたしには28歳になるまでにもしニューヨークに行く機会があったらやってみたいことがあった。

 

両親の新婚旅行の土地はニューヨークだったらしい。

当時、母は28歳。5歳年上の父と結婚したばかりで、その後3人の子供を育て上げることになる。まだ母は、母ではなかった。

母から幼い頃聞かされてきた新婚旅行の思い出話は決まって2パターンあった。1つは、飛行機の中からオーロラを見れてとても嬉しかったこと。もう1つは、チャイナタウンで食べた中華粥がとても美味しかったこと。彼女は若い頃のことを話したがらないのだが、この2つの話だけはよほど良い記憶として残っているのか、繰り返しわたしたち兄弟に話してくれた。

 

オーロラを見ることができるのは、アラスカ経由での飛行ルート。現在このルートは廃止され、ニューヨーク行きの飛行機からオーロラを見るすべはもう無くなってしまったらしい。

 

ニューヨークに行ったらやってみたかったこと。それは、あと1つだけ残された両親の思い出を辿ること。つまりチャイナタウンで朝粥を食べることだった。

 

実に刺激的な街だった。24時間きらめくネオン、高すぎるビル、最新のトレンド。だから正直、旅の思い出に朝粥が強く印象に残っている理由がわからなかった。その理由を探ってみたかった。

 

いつも暇なくせに、滞在中諸々の締め切りに追われた。ニューヨークと東京の時差は13時間。ここでの朝は、東京の夜。朝に作業をしなければ、その日の日付に間に合わない。

宿泊しているホテルは、チャイナタウンが密集しているCanal stationから少し遠い。

メトロで行けばそんなにかからないのだが、ニューヨークは交通費がとても高い。朝ごはんを食べるためだけに往復600円の交通費は気が引けた。

 

母は、これから始まる新しい人生に胸をときめかせていたことだろう。でももしかしたら、いくらか不安もあったかもしれない。どんな気持ちでニューヨークの地を踏んだのだろう。

4/1、新しい身分となったわたしは、とりあえずこれからの生活にひどく不安な気持ちに駆られている。28歳は2年後。その頃わたしはどこで何をしているかわからないけれど、少なくとも母になるなんて今のところは考えられなくて、常に自分のことで精一杯だ。

 

結局わたしは、滞在中朝粥を食べることができなかった。

でも、28歳の母の記憶に眠る朝粥の理由を辿るには、わたしにはまだ子供すぎるような気もした。

シェイプ・オブ・ウォーターを見て思い出したこと

NY行きの飛行機の中で、「シェイプ・オブ・ウォーター」を観た。
耳の聴こえない女性と半魚人のラブストーリーとのことで、胡散臭い話だなと思っていたが、随分話題になっていたので気にはなっていた。
感想としては、良かったとか悪かったというより、なんだか胸がいっぱいになってしまった。


二年前一人でオランダに行った時、何人かのグループに軽く絡まれたのだが、居合わせた親切な現地の男性が追い払ってくれた。その後バスの中で話をしてみると、彼は敬虔なユダヤ教徒の家庭に育ったイスラエル出身の男性だった。
厳しいカトリックの学校で育ったのと、中学時代La’cryma Christiが好きだったのでイスラエルの名前だけはなんとなく知ってはいた。しかし、今のイスラエルガザ地区のネガティブなことしか知らないし、イスラエル出身者を基本的にはユダヤ人と呼ぶことを知らなかった。彼もまた、日本に関することは寿司しか知らなくて、更に日本が島国であることすら知らなかった。
帰国後もしばらくメッセージのやり取りをしていた。その後パリに行く機会があったのでそう伝えると、彼がユダヤ人だらけのシェアハウスに泊めてくれると言い出した。わたしはパリを堪能したあと、アムステルダムで2週間ほどユダヤ人達と奇妙な共同生活をすることにした。


ユダヤ人コミュニティは強靭で、毎日たくさんのユダヤ人に会った。フムスというイスラエルではメジャーな豆のペーストのような食べ物をよく作ってくれて、わたしはその度にお腹を壊した。彼らはヘブライ語という右から左に書く言語を使って喋っていたので真似しようとしたが、よく分からない喉の鳴らし方をするのでやめた。
彼も彼で何度も日本を中国の一部である前提で話すのでいちいち訂正したり、日本料理屋に連れて行けば箸が使えず「なぜアジア人はこんなに不便なものを使うのか、スプーンとフォークでいいじゃないか」と文句を言われた。お互いカタコトの英語で訛りも激しかったので、言葉はあまり通じ合っていなかった。


ある日、彼が車でベルギーに連れて行ってくれることになった。朝早く出て日帰りで行き、帰って来る頃にはもう深夜になっていた。
オランダに再入国してしばらくして、通りたい道が通行止めになっていた。しかしナビには全く反映されておらず、別のルートの提案をしてくれない。こういうことはオランダではよくあるらしく、別の道を行こうとしても、同じ道をグルグル回ってしまう。
彼は軽くパニックになりかけていてF●CKを連発し出し、電子マリファナをバカスカ吸い始めた(もともとマリファナ中毒っぽかった)。ガンギマリで運転して事故にでも巻き込まれたら大変なので、わたしはカタコトの英語と身振り手振りで、頼むから落ち着いてくれと彼をなだめた。
路駐して2人で作戦を練った。通りすがりの不良の子供が、車の窓をドンドン叩きながらわたしを見るなりつり目をして挑発してくる。こんなところで寝泊まりすることになったら絶対嫌だった。わたしたちは一通の道を逆向きに強行突破することで回避することにした。もうこの方法しかなかった。
あと少しでトラックに当たりそうになってかなりヒヤヒヤしたが、ギリギリのところでなんとか脱出することに成功した。バックミラーを覗くと、トラックがクラクションを何度も鳴らしながらめちゃくちゃ怒鳴っていた。やがてトラックが見えなくなり、わたしはあ~~~よかっった~~~~と大きな声で言ってしまった。その「よかった」という単語の発音が面白かったらしく、彼が吹き出した。ムッとして彼の顔を見るとメチャクチャ汗をかいてTシャツがびしょびしょになっていて、わたしも思わず吹き出してしまった。


この一件があってから、わたしたちはお互いをなんとなく特別な存在だと思うようになった。


とても失礼な言い方に聞こえてしまうかもしれないが、わたしは彼を同じ人間と認識していない部分があった。それぐらい、生まれ育った環境が違った。完全に伝わらない英語でなんとかやり取りしているが、基本は互いの表情をうかがったり、手を握ったり、笑いかけたり涙を流したりすることが主なコミュニケーションだ。それは言葉の分からない動物たちを友人だと認識する行為と似ているかもしれない。少しでも自分の思うことが伝わってほしくて、随分表情豊かに、近い距離感で毎日を過ごした。
日本に帰ってからアムステルダムでの共同生活の話をすると、「よく生きて帰ってこれたね」とか、「なぜそんな無茶をするのか理解ができない」と色んな人に怒られた。わたしたちは言葉が通じない相手を不安に思ったり、環境が違いすぎる人間を厄介に思ってしまうことがある。でも、知らないから楽しかった。わからなすぎるから面白かった。伝わるといちいち嬉しかった。
わたしがフムスを食べられるようになって、彼が箸を持てるようになったら。その日を想像すると、ゾッとすらしたのだった。


シェイプ・オブ・ウォーター」の半魚人に、わたしは彼を重ねてしまった。
この映画にはたくさんのコミュニケーションの形があった。多言語、手話、暴力、笑顔、涙、ハグ、セックス・・・。そういえば最近は言語でしかコミュニケーションを取っていなかったかもしれないなと思った。言葉にすることは絶対的であるが、絶対的であるがゆえに失うちいさなものは多い。あの映画にもアムステルダムの日々にも、言葉の伝わる人とは到底かわせない緊迫したコミュニケーションがあった。そしてそれは、日本語だけで生きる日本での生活とは全く違った。
みんなが言うように、確かにもしかしたら彼が悪いユダヤ人だったら死んでたかもしれない。でもそれは彼も同じだ。だからわたしたちはお互いを信じるしかなかった。そんな中で生まれた信頼の賜物は、それはそれはピュアで尊くて、美しかった。